jazz

ジャズダンスの歴史は?
1840年代~1900年にどんなことが起こった?
ジッグダンスとソフトシューダンスが発展した?

前回はジャズダンスのはじまりから1830年代まで紹介し「ジャズダンスという言葉がいつ登場したのか」まで紹介しました。

記事を書いているのは…

元劇団四季、テーマパークダンサー。ジャズダンスを勉強中

kazu

今回は「ジャズダンスのもとになったジッグダンス、ソフトシューダンスの発展」についての解説です。

※3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。

ジャズダンスの歴史(1840年代~1900年代)ジッグダンス、ソフトシューダンス

ジャズダンスとは?

1830年代までに「ジャズダンス」という言葉が誕生しました。

ジャズ

足のリズム、手のリズム、歌のリズム、3つの要素を組み合わせたものが「ジャズ」

この「ジャズミュージックに合わせた踊り」というのが、ジャズダンスのもともとの意味です。

このときジャズのスペルは「Jass」でした。1917年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが「Jazz」と使いはじめ浸透します。そのためジャズダンスの正式な誕生は1917年という場合もあります。

1830年代は「ジャズダンス」という言葉が誕生した、という方が正確かもしれません。

ジャズダンスのもとになるジッグダンス(タップダンスに似たダンス)、ソフトシューダンス(ヒップホップに似たダンス)がジャズダンスのルーツです。今回はこの2つのダンスの発展とジャズダンスの発展を紹介していきます。

ジャズダンスの歴史(誕生~1900年、アメリカ)

1830年代

ジャズダンスの発展に欠かせない差別的なショーがあります。それがミンストレル・ショー(minstrel show)という暗い歴史です。

白人が顔を黒くぬり、黒人に扮したパフォーマンスを行うショーがありました。

白人が黒人の奴隷生活を演じる、かなり差別的なパフォーマンスもありました。

ミンストレル・ショー(minstrel show)

1964年の差別を禁止する公民権法ができるまで上演は続きます(1900年代は数がグッと減ります)。

ミンストレル・ショーによりジッグダンス、ソフトシューダンスが人気となり、幅広く知られるようになりました。

ケーキウォーク

ミンストレルショーの中に「ケーキウォーク」というショーの中にがあります。

胸をオーバーに張って、難しいステップを踏みます。

そしてケーキウォークはコンテスト形式になっていて、黒人ダンサーの優勝者にケーキが一切れ与えられました。

このコンテストにより様々な画期的なステップが誕生します。

ミンストレル・ショーでは白人のスターがたくさん誕生しました。ですが、黒人のスターはあまり登場しませんでした。

黒人のパフォーマーは、差別的に誇張された黒人を自分自身で演じることにかなり抵抗を感じていました。黒人の世界を描いているものの、黒人のパフォーマーに居場所はありませんでした。

ヨーロッパへ

こうした経緯から、黒人のパフォーマーはヨーロッパに渡ります。ヨーロッパには黒人パフォーマーの受け皿がありました。

才能豊かな黒人が集まり、ヨーロッパでは革新的なジャズミュージックやジャズダンスへと発展していきます。

こうしてヨーロッパでは、ジャズダンスがさらに分かれていきます。

ブロードウェイ・ミュージカルへ

一方、ミンストレル・ショーはアメリカで独自の進化をとげます。

特に1960年代、1970年代のブロードウェイ・ミュージカルに影響がみられます。コメディ・ミュージカルはミンストレル・ショーの形式をとっていて、ミンストレル・ショーがルーツと言っていいと思います。

1840年代「タップダンスの誕生」

ニューヨークにあるファイブ・ポインツ地区。

飢饉から逃れた大量のアイルランド移民、解放された黒人奴隷といったアメリカ最下層の人々が住んでいた地区です。

この環境だったからこそ、アイルランド由来のジッグダンスと、黒人特有のリズムが混ざり合い「タップダンスの種」が生まれました。

まだこのころはタップとは呼ばずジッグダンスです。

ただし黒人が踊るジッグダンスのことをジッグダンスと呼び、アイルランド人が踊るジッグダンスはアイリッシュ・ジッグダンスと呼びました。

マスター・ジュバ

ジッグダンスをタップダンスに進化させた人物にマスター・ジュバ(1825年-1852年)がいます。

ミンストレルショーで人気となり、ヨーロッパでも大成功しました。

唯一無二のテクニックを持ち、まわりのダンサーが霞んでしまったといわれます。

『オリバー・ツイスト』を書いたチャールズ・ディケンズも手記に「凄かった」と記しています。

マスター・ジュバにより、さまざまなステップが生み出され、現在のタップがはじまります。

世界中のタップダンサーから今も尊敬されています。

1845年「ソフトシューダンス」

ジッグダンスからしなやかさの方面に新たな動きが生まれます。それがソフトシューダンスです。

音を立てずにしなやかに踊るダンスです。

跳ねたりすることなく、足の裏を地面にしっかりつけ吸い付くような踊りです。ソフトシューダンスの流れを受けるステップがムーンウォークです。

音を鳴らす必要がないため、木靴や固い靴を履かなかったことからソフトシューと名付けられています。

ジッグダンスがのちにタップダンスとなり、ジッグダンスから生まれたソフトシューダンスがジャズダンスになります。

1877年

ジッグダンス、ソフトシューダンスはアフリカ由来のダンスのため、パワフルでテクニックを競うようなダンスでした。

ここに変化を起こしたのが、ジョージ・H・プリムローズ(1852年-1919年)です。プリムローズはミンストレルショーで活躍後、自分の劇団を立ち上げます。

最大の功績は、プリムローズがダンスにバレエ的な動きを加えたことです。

これまでのダンスは激しいもののとても荒々しく、形よりもどんなスゴいテクニックを見せられるかに重点が置かれていました。

プリムローズはそうではなく、形の美しさ、とくに上半身の美しさをダンスに加えます。

こうしてジッグダンスやソフトシューダンスが荒削りのものから、観客に見せるためのダンスに変化していくことになります。

パフォーマンスの完成度が高くなるきっかけとなりました。

ボードビル・ショー

もともと15世紀フランスではじまったボードビル。

ノルマンディー地方のヴォー・ド・ヴィル、もしくは「街の歌声(ヴォワ・ド・ヴィーユ)」に由来します。

ボードビル・ショー(vaudeville show)は「踊り、歌、手品、漫才」が一緒になった舞台です。

ファミリー向けのエンターテイメントとして、アメリカでは1880年代から1910年代、ミュージカルの人気が出るまで流行しました。

このボードビル・ショーから超人的なダンサーがたくさん誕生します。

ブロードウェイ

1842年、劇場事業家のオスカー・ハマースタインが、ニューヨークのブロードウェイに「ビクトリア劇場(Victoria Theatre)」を建てたのがはじまりと言われています。

1850年代には初のミュージカル作品が上演されています。

1890年代、ジッグダンス、ソフトシューダンスがミュージカルに取り入れられます。

舞台芸術であるミュージカルとジッグダンス、ソフトシューダンスの交流がはじまることで、様式美を意識した動きが発展していくようになりました。

スラブ系ダンス

1862年、アメリカではホームステッド法が制定されます。

アメリカ西部の未開発の土地、1区画160 エーカー(約65ヘクタール)を無償で渡すというものです。

この施策により、19世紀後半ヨーロッパから多くの移民がアメリカにやってきます。

このときロシアや東欧を出身とするスラブ系の住民も多くやってきて、それにともないスラブ舞踊がアメリカに入ってきます。

アクロバティックな動きが積極的にジッグダンスに取り入れられることになります。

このほかにもさまざまな民族のダンスがジッグダンス、ソフトシューダンスに取り入れられていきます。

こうしてジャズダンスの要素がどんどん追加されていくことになります。

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kazu

今回は「ジャズダンスの登場とその定義」の紹介でした。次回に続きます。
ありがとうございました。

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