ジッグダンス、ソフトシューダンスの発展.png)
ジャズダンスの歴史は?
ジッグダンスとは?
ソフトシューダンスとは?
前回はジャズダンスのはじまりから1830年代「ジャズダンスという言葉がいつ登場したのか」まで紹介しました。
元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。
今回は「20世紀のジャズダンスの歴史:ジャズダンスのもとになるジッグダンス・ソフトシューダンスの発展」についてです。
※ 3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。
ジャズダンスとは
1830年代までに「ジャズダンス」という言葉が誕生しました。
足のリズム、手のリズム、歌のリズム、3つの要素を組み合わせたものが「ジャズ」
この「ジャズミュージックに合わせた踊り」というのが、ジャズダンスのもともとの意味です。
このときジャズのスペルは「 Jass 」でした。1917年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが「 Jazz 」と使いはじめ浸透します。そのためジャズダンスの正式な誕生は1917年という場合もあります。
1830年代は「ジャズダンス」という言葉が誕生した、という方が正確かもしれません。
ジャズダンスのもとになるジッグダンス(タップダンスに似たダンス)、ソフトシューダンス(ヒップホップに似たダンス)がジャズダンスのルーツです。
今回はこの 2つのダンスの発展とジャズダンスの発展を紹介していきます。
1830年代
ジャズダンスの発展に欠かせない差別的なショーがあります。
それがミンストレル・ショー( minstrel show )で、暗い歴史です。
ミンストレル・ショー:白人が顔を黒く塗り、黒人に扮したパフォーマンスを行う
白人が黒人の奴隷生活をおもしろおかしく演じる、差別的なパフォーマンスもありました。
1964年、公民権法(差別を禁止する法)ができるまで上演は続きます。1900年代以降、公演数がグッと減ります
とはいえ、このミンストレル・ショーにより、ジッグダンス、ソフトシューダンスが人気となり、幅広く知られるようになりました。
ケーキウォーク
ミンストレルショーの中に「ケーキウォーク」というパフォーマンスがあります。
コンテスト形式になっていて、黒人ダンサーの優勝者にケーキが一切れ与えられました。
このコンテストにより様々な画期的なステップが誕生します。
胸をオーバーに張って、難しいステップを踏む動きです。
ミンストレル・ショーでは白人のスターがたくさん誕生しました。ですが、黒人のスターはあまり登場しませんでした。
黒人のパフォーマーは、差別的に誇張された黒人を自分自身で演じることにかなり抵抗を感じていました。黒人の世界を描いているものの、黒人のパフォーマーに居場所はありませんでした。
ヨーロッパへ
こうした経緯から、黒人のパフォーマーはヨーロッパに渡ります。ヨーロッパには黒人パフォーマーの受け皿がありました。
才能豊かな黒人が集まり、ヨーロッパでは革新的なジャズミュージックやジャズダンスへと発展していきます。
こうしてヨーロッパでジャズダンスが独自に発展していきます。
ブロードウェイ・ミュージカルへ
一方、ミンストレル・ショーはアメリカで進化をとげます。
特に1960年代、1970年代のブロードウェイ・ミュージカルに影響がみられます。
コメディ・ミュージカルはミンストレル・ショーの形式をとっていて、ミンストレル・ショーがルーツと言っていいと思います。
1840年代「タップダンスの誕生」
ニューヨークにあるファイブ・ポインツ地区。
飢饉から逃れた大量のアイルランド移民、解放された黒人奴隷といったアメリカ最下層の人々が住んでいた地区です。
アイルランド由来のジッグダンスと、黒人特有のリズムが混ざり合い「タップダンスの種」が生まれました。
まだこのころはタップとは呼ばず「ジッグ(ジグ)ダンス」です。
ただし、黒人が踊るとき「ジッグダンス」と呼び、アイルランド人が踊るとき「アイリッシュ・ジッグダンス」と呼びました。
マスター・ジュバ
ジッグダンスをタップダンスに進化させた人物にマスター・ジュバ(1825年-1852年)がいます。
ミンストレルショーで人気となり、ヨーロッパでも大成功しました。
唯一無二のテクニックを持ち、まわりのダンサーが霞んでしまったといわれます。
『オリバー・ツイスト』を書いたチャールズ・ディケンズも手記に「凄かった」と記録しています。
マスター・ジュバにより、さまざまなステップが生み出され、現在のタップがはじまります。
世界中のタップダンサーから今も尊敬されている存在です。
1845年「ソフトシューダンス」
ジッグダンスからしなやかな方面に新たな動きが生まれます。
それが「ソフトシューダンス」です。
音を立てずにしなやかに踊るダンスです。音を鳴らす必要がないため、木靴や固い靴を履かなかったことからソフトシューと名付けられています。
跳ねたりすることなく、足の裏を地面にしっかりつけ吸い付くような踊りです。
ソフトシューダンスの流れを受けるステップが、マイケル・ジャクソンの代表的なステップ「ムーンウォーク」です。
ジッグダンスがのちにタップダンスとなり、ジッグダンスから生まれたソフトシューダンスがジャズダンスになります。
1877年
ジッグダンス、ソフトシューダンスはアフリカ由来のダンスのため、パワフルでテクニックを競うようなダンスでした。
ここに変化を起こしたのが、白人のジョージ・H・プリムローズ( 1852年-1919年 )です。プリムローズはミンストレルショーで活躍後、自分の劇団を立ち上げます。
最大の功績は、プリムローズがダンスにバレエ的な動きを加えたことです。
これまでのダンスは激しく、荒々しく、形よりもスゴいテクニックの披露に重点が置かれていました。
プリムローズは、形の美しさ、とくに上半身の美しさをダンスに加えます。
こうして荒削りなダンスから観客に見せるダンスに変化していき、パフォーマンスの完成度が高くなるきっかけとなりました。
ボードビル・ショー
もともと 15世紀フランスで始まったボードビル。
ボードビル・ショー( vaudeville show )は「踊り、歌、手品、漫才」が一緒になった舞台です。
ノルマンディー地方のヴォー・ド・ヴィル、もしくは「街の歌声(ヴォワ・ド・ヴィーユ)」に由来します。
ファミリー向けのエンターテイメントとして、アメリカでは 1880年代から 1910年代、ミュージカルの人気が出るまで流行しました。
このボードビル・ショーから超人的なダンサーがたくさん誕生します。
ブロードウェイ
1842年、劇場事業家のオスカー・ハマースタインが、ニューヨークのブロードウェイに「ビクトリア劇場( Victoria Theatre )」を建てたのが始まりと言われています。
1850年代には初のミュージカル作品が上演されています。
1890年代、ジッグダンス、ソフトシューダンスがミュージカルに取り入れられます。
舞台芸術であるミュージカルとジッグダンス、ソフトシューダンスの交流が始まり、様式美を意識した動きが意識されるようになりました。
スラブ系ダンス
1862年、アメリカではホームステッド法が制定されます。
アメリカ西部の未開発の土地、1区画 160 エーカー(約65ヘクタール:東京ドーム 14個分)を無償で渡すというものです。
この施策により、19世紀後半ヨーロッパから多くの移民がアメリカにやってきます。
このときロシアや東欧を出身とするスラブ系の住民も多くやってきて、それにともないスラブ舞踊がアメリカに入ってきます。
アクロバティックな動きが積極的にジッグダンスに取り入れられるようになります。
このほかにもさまざまな民族ダンスが移民によって、ジッグダンス、ソフトシューダンスに取り入れられていきます。
こうして後の時代のジャズダンスに近づいていきます。
ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ
ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。
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身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

今回は「ジャズダンスの登場とその定義」の紹介でした。次回に続きます。
ありがとうございました。
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ダンサー体型を目指すトレーニング情報をまとめていますので、ぜひご覧ください。
ダンス上達のための身体の使い方、トレーニングの方法、体幹トレーニングについてまとめています。ピラティスやヨガもご紹介します。