jazz

ジャズダンスはどう発展していった?
貧しい人でも楽しむことができるようになった?
ミュージカルの復活?

前回は1960年代の「ジャズダンスの再定義」について紹介しました。

ダンスが再度、大衆に受け入れられるようになり1970年代からダンスが多様に広がっていきます。

記事を書いているのは…

元劇団四季、テーマパークダンサー。ジャズダンスを勉強中

kazu

今回は「ディスコ、斬新な振付家」を紹介します。

※3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。

1970年代

1970年代のキーワードは「大衆化」です。

ダンスが誰でも楽しめるようになっただけでなく、貧困の人たちも気軽に参加できるようになりました。

ジャズダンスの歴史の流れ(1960年代~1970年代のアメリカ)

ディスコからミュージカルの流れと、ストリートダンスの流れがあるので1970年代は2つに分けて解説していきます。

ストリートダンスに関してはこちらをどうぞ。

ディスコブーム

1970年代最大のムーブがディスコです。勢いがすごく、人種、国境、年代に関わらず、ありとあらゆる人を巻き込みました。

1960年代末からの暗い時代(反戦運動、フォークソング)から、真反対であるディスコが登場します。経済不況に苦しむアメリカの若者たちを中心に、日常を忘れて楽しむ場所として都会にあるディスコに人々が集まっていきました。

DJの流すディスコ・ミュージックに朝までダンスする人々。流行したダンスは誰でもかんたんにマネできるようなステップで、多くの人が気軽に楽しめるようになりました。

ディスコはもともとニューヨークやロサンゼルスなど大都市圏に住む黒人、ラテン系、ゲイといったマイノリティのアンダーグランドなムーブメントでした。ディスコが全盛となったことで、こうしたマイノリティの人々が気軽にクラブに来られるようになり、ダンスの多様性がさらに広がります。

ディスコで流れている曲がヒットするようになり、ロック、ジャズ、ミュージカル、日本でも演歌歌手まで、ディスコナンバーをリリースしました。

サタデー・ナイト・フィーバー

ディスコ・ブームの頂点が、ジョン・トラヴォルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』(デニー・テリオ、レスター・ウィルソン振付)です。映画からは当時の状況がよくわかるのですごくオススメです。

Bee Geesの「Night Fever」です。

ブロードウェイの動員が最低に

1972年、ブロードウェイの年間観客動員数が480万人と最低を記録します。治安が悪化し、風俗、拳銃、ドラッグが横行する危ない地域になってしまいました。

とはいえ、ミュージカルの上演は続きます。

1972年、ボブ・フォッシーがミュージカル『ピピン』を制作し大ヒットとなります。

フォッシーのような個性的な振付家が誕生していきます。

ボブ・フォッシー

ボブ・フォッシーは1950年代からブロードウェイ、ハリウッドで活躍していました。『シカゴ』『オール・ザット・ジャズ』などが代表作です。

1972年の監督作品である映画『キャバレー』は『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラを押さえ、アカデミー監督賞を受賞。ダンス界だけでなく、エンタメ業界に大きな影響を与えます。

フォッシー・ダンス

ボブ・フォッシーが振り付けたダンスは、フォッシー・ダンスと呼ばれます。かなりクリエイティブで奇妙な振付です。

フォッシーはターンアウトが苦手でした。

ターンアウト

ターンアウトとは、かかとを支点につま先を180°開く技術です(股関節から開きます)。ターンアウトができるかどうかは骨格に左右されます。生まれつき骨格が恵まれていない場合、ターンアウトが習得できなかったり、習得するために相当の努力が必要です。

フォッシーはターンアウトが苦手だったため、つま先を平行にする動きが多いです。

また、若いころから髪が薄くなったため、山高帽などのハットを多用しました。ダンサーが抱えるコンプレックスを振付に活かす革新的な振付師でした。

そして、派手でアクロバティックな技がなくても魅せることができる振付を数多く生み出しました。

とはいえ、ダンサーには美的感覚がかなり求められます。フォッシー・ダンスはセンスがないとかなりダサい、センスが高いとオシャレになる魔のダンスです。なによりダンサーの個性が踊りに表れます。

『スイート・チャリティ』より「The Rich Man’s Frug」。

オフ・ブロードウェイ

1975年4月。ミュージカル『コーラスライン』がオフ・ブロードウェイのパブリック・ニューマン劇場(299席)で開幕します。

オフ・ブロードウェイ

ニューヨーク、マンハッタンにある比較的小さい劇場で上演される演劇のこと。オフ・ブロードウェイを語るとき、大型作品を上演するブロードウェイのことをオン・ブロードウェイと言う

政府や財団からの助成金、個人の寄付を資金源とした非営利団体が多い。金銭的見返りを求めないため自由な作風が特徴。タブー視される人種問題、ゲイ問題、ドラッグ問題や、忘れ去られた名作の再演も行う

『コーラスライン』はショービジネスの世界で舞台にすべてをかける若者たちのリアルな生き方、抱える問題、不安、苦悩を告白しあう名作です。

世界中でいまも上演され続けている作品で映画化もされています。

こちらは再演のときのオーディションを描いたドキュメンタリー映画の予告です。

オフ・ブロードウェイで大ヒットし、3ヶ月後にオン・ブロードウェイで上演がはじまります。1976年のトニー賞では賞を独占。ピューリッツァー賞演劇部門なども受賞し、15年間上演が続きました。

『コーラスライン』によって、オフ・ブロードウェイからオン・ブロードウェイへの道筋ができ、小さな作品でもおもしろければブロードウェイに行けるようになりました。

マイケル・ベネット

1970年『カンパニー』の振付で注目されたマイケル・ベネット。自身もダンサーとして活躍し、『コーラスライン』を手掛けます。

マイケル・ベネットはダンサーからキャリアをスタートし、振付家、演出家、そして脚本も書くようになります。

代表作

1975年:『コーラスライン(A Chorus Line)』演出・脚本・振付
1981年:『ドリームガールズ(Dreamgirls)』演出・振付(振付はマイケル・ピーターズと共同)

バレエやジャズダンスを基本とし、その俳優に合わせて振付をしていきます。俳優もダンスの技術を求められ、その人にしか踊れないような振付が特徴です。

タップダンスの復活

ブロードウェイ・ミュージカル『ジプシー(1959年:ジェローム・ロビンズ振付)』でタップが再登場します。

マイケル・ベネットも『カンパニー(1970年)』『フォリーズ(1971年)』ミュージカルの中にタップを取り入れました。

1960年代のミュージカルからほぼ姿を消してしまったタップ。ダンスシーンはジャズダンスだけになっていましたが、タップが新らしい形となって戻ってきます。

タップダンサーたちはタップを踏むだけでなく、ジャズダンスの要素が入ったタップを踊るようになります。

そしてタップがミュージカルの中でシアタータップとして定着することになりました。

『フォリーズ』より。往年の女優たちと、過去の自分たちが踊るタップシーンです。

この時代を境にミュージカルの人気が復活に向かっていきます。

ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ

ダンス上達のために身体づくりは欠かせません。身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。

1,500円ほど。

オンラインレッスン

ルーティーンを持つためにプロに頼ることは、時短かつ効率的です。オンラインレッスンはコスパがよく、先生が一流で、内容も充実しています。

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ダンサー体型を目指すトレーニング情報をまとめていますので、ぜひご覧ください。

kazu

今回は「ディスコ、斬新な振付家」についてでした。次回に続きます。
ありがとうございました。

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