ジャズダンスの歴史(1960年代)クラシックジャズのテクニックの確立
jazz

1960年代のジャズダンスの歴史は?
ジャズダンスが再定義される?
テクニックが確立された?

前回は1950年代の「モダンジャズダンスの進化」を紹介しました。

ジャズダンスの歴史(1950年代)音楽の吸収と進化・ミュージカルの転換点

1960年代のキーワードは「誰でも楽しめるジャズダンス」です。

記事を書いているのは……

元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。

kazu

今回は「1960年代のジャズダンスの歴史:人種の融合とテクニックの確立」についてです。

※ 3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。

1960年代

1960年代、ジャズダンスが大衆に受け入れられるようになります。

テレビの普及でダンスをマネする人が急増し、覚えたステップをクラブなどで試す人が増えダンスシーンが盛り上がります。

ジャズダンスの歴史の流れ(1960年代~1970年代のアメリカ)

時代の変化により、白人中心だった表舞台のダンスシーンにおいて黒人文化が受け入れられるようになります。

同時に、難易度の高いモダンジャズダンスのテクニック法が確立されました。このテクニックを理解することで現代のジャズダンスを理解できるようになります。

そして、1960年代になるとストリートダンスにつながる流れが登場します。もう一方の流れはこちらで紹介しています。

ジャズダンスの歴史(1960年代)モータウンのヒット:文化の融合

ダンステクニック

ジャズダンスのテクニックの確立で欠かせない人物が 2人います。

それが「ルイジ」と、「ジョルダーノ」です。

現在のジャズダンスの基礎になっています。

ジャズダンス、モダンジャズダンスと名前が少しずつ変わっていましたが、1960年代に一度言葉がリセットされます。

そのためこの時代のジャズダンスを「ジャズダンス」または「クラシック・ジャズダンス」ということが多いです。

大きな特徴としてバレエの要素の強さがあげられます。

ルイジ・テクニック

ルイジは、ジャズダンスのテクニックを初めて体系化します。

ルイジ・テクニック:ウォームアップ・テクニックのメソッド

そのためジャズダンスの王様とも呼ばれます。

ニューヨークでクラスを持っていたルイジ。ブロードウェイのダンス作品に出演するダンサーたちのほとんどがルイジのクラスを受けていたといわれます。

ライザ・ミネリ、マドンナ、ジョン・トラボルタ、ゴールディー・ホーンといった映画スターもルイジの生徒でした。

日本を含め世界中からダンサーが集まっていました。

テクニックの根幹

ルイジは1946年、21歳のころ車の事故で右半身付随となってしまいます。医者からはダンスができないだけでなく、歩くことも難しいと宣告されます。

この困難を乗り越え、2年ほどのリハビリ期間を終えます。歩くだけでなく、踊ることもできるようになったルイジ。ルイジのジャズダンスのテクニックはこの困難を乗り越える中から生まれたメソッドです。

ただし、完治することはなく生涯にわたり麻痺の感覚は残っていたそうです。また片目も不自由となり身体のバランス感覚が以前のもとのとは全く違ったものになりました。

この時代のダンサーは生まれ持った骨格、身体能力の高さがダンサーになる基準となっていました。

この考えをルイジがひっくり返します。

ルイジは体型にハンデがある人も問題なくジャズダンスを踊るテクニックを生み出しました。

その人にあった方法で身体をコントロールする方法を見つけていきます。そのため、リハビリにも活用することができます。

また、1910年代に紹介した伊藤道朗みちおがルイジに大きな影響を与えています。とくに腕の動きは、ミチオの動きをかなり取り入れています。

ジャズダンススクール開校

1957年にニューヨークにダンススクールを立ち上げたルイージ。このスタジオで、1960年代以降のダンサーに大きな影響を与えました。

「 5 6 7 8 」トが入ります。

ダンスのクラスでは動き始めるまえに「 5, 6, 7, 8」と掛け声を振付師や先生が声をかけます。この「 5, 6, 7, 8 」を初めて使ったのがルイジと言われています。

現在、ルイジ・テクニックは、クラシック・ジャズダンスとなりました。クラシック・ジャズダンスのクラスでは、このルイジ・テクニックが今も色濃く残っています。

ルイジのクラスはどんな人でも参加することができました。やる気さえあれば誰でも踊ることができる。多種多様な人が参加し、多くの個性が磨かれます。

素晴らしいクラスをつくった人物です。とくにアメリカのジャズダンスクラスでは、このルイジ・テクニックは今も大切に継承されています。

1984年の映像で、ニューヨークのスタジオでの様子。生徒であふれかえっています。

僕はジャズダンスを極めたいのであれば必ずルイジ・テクニックを学ぶべきだと思っています。

ガス・ジョルダーノ

もうひとり重要な人物が、ガス・ジョルダーノです。

ジョルダーノ・テクニック:身体の中心に力を集めることで四肢を自由に使うことができる

上半身を崩しながら踊るためには腹筋の中心(コア)で支える必要があります。

コアを鍛えるテクニックとして有名です。

ジョルダーノ・テクニックは、モダンダンスに影響を受けています。特にアイソレーションです。

アイソレーション

isolations(孤立)という意味で、身体の一部分だけを動かすテクニック

もともとアイソレーションはありましたが、ジョルダーノがハッキリとジャズダンスに取り入れました。

現在どのダンスの中にも入っているテクニックで、繊細な表現が可能になりました。

ジョルダーノの娘であるナンによるクラスです。

アルヴィン・エイリー

アフリカ系アメリカ人が多数を占めるダンス・カンパニーが登場します。主催したのは、アルヴィン・エイリーです。

魂のこもった情熱的な作品が多くあり、『ブルース組曲』(1958年)、『リベレーションズ』(1960年)が有名です。

モダンダンスを中心に、ジャズダンス、ヒップホップ、アフリカンダンス、コンテンポラリーダンスの作品を上演。ダンサー達はジャンルにこだわることなく、自由自在に様々なスタイルを踊りこなします。

1969年にカンパニー付属のエイリー・スクールを創設します。

バレエを基本に、アメリカのモダンダンスをかなり深く学ぶことができます。力強いダンスパフォーマンスを特徴とします。

タップダンスの衰退

1950年代後半から人気の落ちていたタップダンスが、1960年代になると低迷していきます。

タップはもともとボードビルショー(踊り、歌、手品、漫才が一緒になった舞台)のような生の舞台で踊られていました。

しかしテレビの普及によりエンターテイメントが安価になってしまい、生の舞台が消えていきました。

タップが低迷したのに対し、ジャズダンスはテレビとの相性がすこぶるよく、ますます発展していくことになります。

ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ

ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。

自体重トレーニングは、継続しやすいプリズナートレーニングがオススメです。

2,200円ほど。

オンラインレッスン

ルーティーンを作るためにプロを利用するのもオススメです。オンラインレッスンはコスパがかなりよく、一流の先生かつ、内容のクオリティが高いです。

業界大手のヨガスタジオ「LAVA」は月2,000円ほどでほぼ受け放題です。ヨガ・ピラティスでけでなくトレーニング・筋トレ・ストレッチなどヨガ以外のフィットネス動画も豊富です。

筋トレ・ストレッチ・ヨガ・ピラティスなどなど膨大なアーカイブを月3,000円ほどでほぼ受け放題できる「SOELU」。

身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

kazu

今回は「ジャズダンスにおける人種の融合とテクニックの確立」についてでした。次回に続きます。
ありがとうございました。

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