ジャズダンスの歴史シリーズ「起源〜1840年代」のアイキャッチ画像。夕暮れの広場で、黒人奴隷制の身体文化を象徴する男性とアイルランド移民のステップダンスを象徴する男性が手を差し伸べ合うイメージ画像。

奴隷制時代にアメリカへ強制的に連れてこられたアフリカの人々の身体文化、アイルランドから移り住んだ移民たちが持ち込んだステップダンス。

ジャズダンスのルーツは、この2つのまったく異なる文化の融合にあります。

今回は、その原点である「ジャズダンスの歴史:起源~1840年代」を解説していきます。

記事を書いているのは……

元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。

※ 4分ほどで読み終わります。

ジャズダンスとは?

ジャズダンスの誕生は1917年とされています。

当初は「ジャズミュージックに合わせて踊るダンス」として定着しましたが、今日ではその定義は大きく広がり、さまざまなダンスジャンルの要素を取り込みながら、あらゆるダンスをつなぐ存在となっています。

そして、アメリカ文化の多様性や歴史、流行した音楽の影響が、ジャズダンスの進化を促します。

【一目でわかる】ジャズダンスのルーツ(起源から確立まで)

実は、1917年まではジャズダンスとジャズミュージックはほぼ同じルーツをたどっていました。

起源:ジャズダンスを支える2つの要素

ジャズダンスの根底には、交わるはずのなかった2つの異なる歴史的背景があります。

  1. アフリカ大陸から強制連行された黒人奴隷の身体文化
  2. アイルランド大飢饉などを背景に渡米した移民たち
ジャズダンスを支える2つのルーツ
アフリカ アイルランド
渡来の経緯 大西洋奴隷貿易による強制連行(1600年代〜) アイルランド大飢饉による移民(1845〜1849年)
持ち込まれた文化 伝統のアフリカンダンス(部族固有のリズムと動き) ジッグダンス(ケルト文化由来のステップダンス)
身体的特徴 低い重心、膝を曲げる、アイソレーション 上半身固定、足元だけでリズムを刻む
ジャズダンスへの影響 ストンプ、コンゴ広場での身体表現 タップダンス、ソフトシューダンスの技術基盤

アフリカの影響とアフリカンダンスの生命力

まず、ジャズの「心臓」であるリズムをアフリカのルーツから解説します。

黒人奴隷の過酷な歴史とその影響

1600年代以降、何百万人ものアフリカ人が家族や言語、名前を奪われ、奴隷として無理やり連れてこられました。

大西洋を渡る過酷な「大西洋奴隷貿易」によって、アフリカから強制連行された人々の総数は推定1,200万〜1,250万人にのぼると言われています。

その大半は、サトウキビ農園などの労働力として南米(ブラジル)やカリブ海諸国へ連れて行かれました。アメリカ本土へ直接到着したのは、全体の数パーセントにあたる推定40万人程度とされています。

しかし、アメリカの地に降り立った彼らは、過酷な労働と抑圧のなかで必死に命を繋ぎ、世代を重ねていきました。その結果、アメリカ本土における黒人人口は、独立宣言の頃(1776年頃)には推定75万人前後、1865年の奴隷解放時には推定400万人前後にまで達していたとされています。

参照:AFPなどのデータを基に作成(数字の単位:万人)

特にサハラ以南・西アフリカの地域(現在のガンビア、マリ、シエラレオネ、セネガルなど)からは、労働力として多くの若い男性が連れてこられ、彼らの身体の中に眠る「伝統のアフリカンダンス」がアメリカの地に持ち込まれることとなったのです。

アフリカンダンス:身体表現の種類と特徴

各部族ごとに独自の動きを持つアフリカンダンスの核、それは「圧倒的なリズム」です。裸足で大地を踏み締め、身体そのものを太鼓の打楽器のようにして踊るその姿は、日常の喜びや儀式、歴史の伝承として何世代にもわたり継承されてきました。

アフリカンダンスの身体表現には、現在のジャズダンスに直結する「4つの特徴」があります。

  • 大地を強く踏み鳴らす
  • 低い重心(ダウン)で踊る
  • 膝を柔軟に曲げる
  • 身体各部の独立した激しい運動(アイソレーション)

さらに、イギリスの人類学者ジェフリー・ゴアール(Geoffrey Gorer)による分類として、アフリカンダンスには以下の「6つの身体的特徴」があるとされています。

  1. 足の裏を完全に接地する
  2. かがんだ姿勢(低い重心)をキープする
  3. 鳥や動物の動きを模倣し、身体に取り入れる
  4. 型に縛られない自由な即興(インプロビゼーション)
  5. 腕は肩から、足はヒップからエネルギッシュに動かす
  6. 身体の各部分で別々の、強烈なリズムを刻み込む

当時、洗練された宮廷バレエや社交ダンスを美徳としていたヨーロッパの白人社会は、アフリカの踊りを「野蛮で奇怪なもの」と評しました。

しかし、野生の動物のようにエネルギッシュで、魂の叫びを体現したこのダンスこそがジャズダンスの揺るぎない原点です。

1740年代:ドラム禁止令と「ストンプ」の誕生

1740年代、奴隷反乱を恐れた白人支配層により、黒人奴隷によるドラム(太鼓)の演奏と、それに伴うアフリカンダンスが法的に厳しく制限されました。ドラムの音は遠くまで響き、奴隷たちの間に連帯感や意思疎通を生み出す強力なツールであったため、当時の権力者にとって最大の脅威でした。

しかし、「踊ることでアイデンティティを保ちたい」という情熱は、弾圧によって消えることはありませんでした。そこで生まれたのが、楽器を使わずに全身でリズムを奏でる「ストンプ(足踏み)」です。足を踏み鳴らし、手拍子を叩くストンプは、禁止されたドラムの代替として機能しただけでなく、身体という「奪われない楽器」を用いて、過酷な環境下で生きる彼らの魂の交信手段となりました。

現在は、当時のルーツを継承しつつ、舞台芸術としてスタイリッシュに進化しています。

1817年:ニューオリンズ「コンゴ広場」での解放

1817年、ルイジアナ州ニューオリンズ。黒人奴隷たちが日曜日だけ自由に踊ることを許可された場所が「コンゴ広場(Congo Square)」です。ここはアメリカの歴史においても極めて特異な場所でした。

コンゴ広場ではドラムの使用が一時的に黙認されました。それまで隠れて踊られていたアフリカンダンスが、広場で公然と披露されました。各部族の伝統的なステップが混ざり合い、アフリカ由来の身体のうねりや、独特の腰使い(シェイク)が融合し、進化を遂げます。

コンゴ広場での「抑圧から解放された自由な表現」こそが、後のアメリカのダンス、そしてジャズダンスを形成する文化的な礎となりました。

ヨーロッパからの影響:アイルランドとジッグダンス

ジャズダンスの歴史を語る上で、アフリカのリズムと並ぶ「もう一つの巨大な車輪」が、ヨーロッパから持ち込まれたダンス文化です。

なかでも、過酷な運命によってアメリカ大陸へ渡ることになったアイルランド人たちの伝統的なステップは、のちのタップダンスやジャズダンスの技術に多大なる影響を与えました。

アイルランドの歴史的背景:大飢饉と大量の移民

1700年代以降、イングランドによる圧政や宗教的弾圧から逃れるため、多くのアイルランド人が新天地アメリカへと渡りました。この移民の波を決定的なものにしたのが、1845年〜1849年に発生した「アイルランド大飢饉(ジャガイモ飢饉)」です。

飢饉と伝染病により、当時の全人口(約800万人)の10%〜15%にあたる約100万人もの命が失われました。生き残った人々もまた、極限の飢えから逃れるため、命がけで国外へ脱出を試みます。この大飢饉の前後だけで100万人〜150万人以上が海を渡り、19世紀末までに数百万人のアイルランド移民がアメリカに根を下ろしました。

寒冷な土地から生まれた、足元の芸術「ジッグ」

彼らがアメリカに持ち込んだ伝統舞踊が、ケルト文化を背景に持つ「ジッグダンス(Jig Dance)」です。もともとは木靴を履いて床を踏み鳴らす踊りでしたが、アメリカでさらなる進化を遂げます。

  • 上半身を動かさない独特のスタイル:寒冷な気候の中で体力を消耗しない(省エネ)ための工夫などから、上半身を固定し、足元だけでリズムを刻むスタイルが自然に定着しました。
  • 身体の楽器化:数百年かけて技術が洗練され、革靴が普及すると、靴底に「硬貨(コイン)」や釘を付けて音を出すようになります。これがのちのタップダンスの直接の起源となりました。

この伝統的なステップは後にさらに洗練され、現代の『リバーダンス』に代表されるアイリッシュダンスへと発展します。

一方、アメリカの地で「もう一つの巨大なルーツ」と運命的な出会いを果たすことになります。

アメリカの伝統舞踊とジャズダンスの誕生

交わるはずのなかった「アフリカの低い重心と剥き出しのリズム」、そして「アイルランドの激しい足元のステップ」。

アメリカの南部を中心に、黒人たちの「ストンプ」とアイルランド移民の「ジッグ」は、お互いの生活圏の中で自然に混ざり合い始めました。

1830年代:2つのルーツの融合(ヴァナキュラーダンスの形成)

こうして生まれた「その土地固有のダンス」をヴァナキュラーダンス(土着の踊り)と呼びます。ヴァナキュラー(vernacular)とは、「土着の」「その土地固有の」という意味を持つ言葉です。

劇場芸術としての「ジャズダンス」が確立されるのは20世紀に入ってからですが、この1830年代の文化の融合こそが、のちのタップダンスやジャズダンスの直接的な起源となりました。

1840年代:ソフトシューダンスの誕生とムーンウォークの原点

1840年代に入ると、激しく床を踏み鳴らすジッグダンスから派生し、新たに画期的なムーブメントが登場します。それが「ソフトシューダンス(Soft Shoe)」です。

最大の特徴は、音を立てずにしなやかに、床を滑るように優雅に踊ることです。

  • 独特の足さばき:足の裏を地面にしっかり吸着させながら、跳ねることなく流れるように動くスタイルは、従来の激しいステップダンスとの大きな違いです。
  • 名前の由来:木靴や硬い革靴を使わず、柔らかい靴で踊ることからその名がつきました。

この「足裏を地面に吸着させて滑るように移動する」という独特の技術は、のちのタップダンスにおける魅せるバリエーションとなりました。ステップの質感という点では、はるか未来のマイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」にも通じるものがあると言われています。

「ジャズ(Jazz)」という言葉の誕生と1917年の確立

では、これらがいつから「ジャズダンス」と呼ばれるようになったのか?

実は、「ジャズ」という言葉の正確な起源や、誰が最初に使い始めたのかは現代でも謎に包まれています。

もともとは「Jass」というつづりで、1910年代のスポーツの記録や音楽の文脈から広まったスラングとされています。

その後、1917年にオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが「Jazz」という言葉を冠した世界初の商業ジャズレコードを発売したことで、この言葉が世の中に浸透しました。当時のジャズの定義はこちらです。

1917年当時のジャズの定義

足のリズム、手のリズム、歌のリズム。3つの要素を組み合わせたもの。

音楽の爆発的な普及とシンクロする形で、ダンスもまた公に「ジャズダンス」と呼ばれるようになり、正式なジャンルとして確立されました。

時代を吸収し、進化し続けるダンス

その後もジャズダンスはその時代ごとの流行や文化を貪欲に取り込みながら、常に進化し続けるダイナミックな表現形式となりました。

この圧倒的な多様性こそがジャズダンスの大きな魅力であり、ダンサーに「自分自身のスタイルを追求する自由」を与えます。

あらゆるダンスを繋ぐ架け橋

ジャズダンスは様々なダンスをつなぐ架け橋であり、表現の自由度が非常に高いジャンルです。技術力だけでなく、ストーリーや音楽の情感、そして自分自身の個性をいかに表現するかが評価されるため、定義にこだわりすぎず、自由に自分らしいダンスを追求できるのが魅力です。

さらに深く学びたい人へ:おすすめの参考文献・書籍

ジャズダンスの歴史をさらに深掘りしたい方にオススメの書籍を紹介します。

世界史はジャズで踊る(文春新書 1527)

著者:村井 康司 | 出版社:文藝春秋

抑圧された歴史の中から生まれたジャズが、どのように世界を熱狂させていったのかが描かれています。1917年のジャズ誕生にいたるまで、ジャズミュージックとジャズダンスは全く同じ歴史をたどるため、知的好奇心を強く刺激してくれる一冊です。

1,500円前後です。

ダンス解剖学 第2版(新スポーツ解剖学シリーズ)

著者:ジャッキー・グリーン・ハース | 訳:水村 真由美 | 出版社:ベースボール・マガジン社

アフリカンダンスのルーツである「低い重心」や、ジャズダンスに不可欠な「アイソレーション」を正しく体現するには、骨格や筋肉の構造をロジカルに理解することが不可欠です。イラストでダンサーの身体のメカニズムを網羅しています。

3,000円前後です。

まとめ

アフリカの抑圧されたリズムと、アイルランド移民の足元のステップが出会い、ジャズダンスの原点が形づくられていきました。

過酷なルーツと時代の流れを取り入れてきたからこそ、ジャズダンスの進化には、技術だけでは語れない「表現力の幅広さ」という魅力が備わっています。

次回の記事「1840年代~1900年代のジャズダンスの歴史」では、ミンストレル・ショーの熱狂から劇場の発展、その後の変遷を見ていきます。

1840年代〜1900年のジャズダンスの歴史を解説するブログ記事のサムネイル画像。19世紀のニューヨークの街並みを映したセピア色の写真を背景に、「ジャズダンスの歴史【1840年代〜1900年】 2つのルーツの融合 差別の影からブロードウェイの舞台へ」というキャッチコピーが配置されたアイキャッチ。

ジャズダンスの歴史の記事一覧は、こちらの目次ページをご覧ください。

ジャズダンスの歴史:深堀り徹底解説

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。