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ジャズダンスはどう発展していった?
シアターダンスの父「ジャック・コール」とは?
ジーン・ケリーとは?
前回、1930年代のダンスの歴史と「シアターダンス」を紹介しました。
元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。
今回は、「1940年代のジャズダンスの歴史:モダンジャズダンスの発展」についてです。
※ 3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。
1940年代
1939年~1945年に起こった第二次世界大戦によりジャズダンスの発展は一度停滞します。
ダンサーが戦争に従事することもあり、ヨーロッパに派兵されそのまま残るダンサーもいました。
第二次世界大戦後、ジャズダンスはさらに発展していきます。
ヨーロッパへ
アメリカをはじめ、独立戦争が勃発するアフリカ、中南米のダンスがヨーロッパに流れていきます。
社交ダンスに民族舞踊が取り入れられ、「ルンバ」「サンバ」「チャチャチャ」が誕生したり、ラテン部門が誕生したりと変化が生まれます。
『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』よりチャチャチャです。
ラテン音楽
同時に、アメリカに世界中の文化が入ってきます。
中でもラテン音楽は人気がありました。南米から多くの移民が入ってきたことに関係します。
ミュージカル映画でもラテンミュージックが定番のシーンとして登場するようになります。
この時代、MGMスタジオ制作の映画の豪華さは桁違いです。
例えば、『バスビー・バークリーの集まれ!仲間たち』(1943年公開)。予算のかけ方が半端じゃないです。
ブラジル出身のカルメン・ミランダが歌い踊ります。スイング・ジャズ時代を牽引していたベニー・グッドマン楽団も出演しています。
配信で見ることができます。
ブレイクダンス
ジャズ・コーラスの草分けグループの「ミルス・ブラザース」。
1931年にレコード・デビューし、『Tiger Rag』『Dinah』が大ヒットしました。
ビートルズのポール・マッカートニー、小島正雄(名門ジャズバンドのバンドマスター)などにも大きな影響を与えています。
そんなミルス・ブラザーズのヒット曲『キャラバン』の映像が残っています。
男性ダンサーの動きはまさにブレイクダンスです。
このようなムーブが脈々とつながり、後のヒップホップにつながっていきます。
モダンジャズ
ジャズダンスはもともと多くの人が楽しむダンスで、ダンスホールなどで当たり前に踊られていました。
ですが、1940年代後半になるとジャズミュージックのリズムのパターンが複雑になっていきます。
4拍子が途中で 6拍子になる、といった変則的なリズムです。音楽が複雑になっていくと、ダンスも複雑になっていきました。
それに加え、難易度の高いバレエやモダンダンスのテクニックがジャズダンスに取り込まれていきます。
バレエやモダンダンスを学んだジャズダンサーが増えると、一般の人たちが気軽に踊れなくなっていきます。
バレエやモダンダンスのテクニックを必要とするジャズダンスのことを「モダンジャズ」と呼びます。

モダンジャズダンスのことをジャズダンスとイメージする人が多いと思います。
プロのダンサーたち
そして、プロのダンサーたちが登場します。
テクニックがさらに難しくなっていきます。
プロのダンサーや振付家の登場で、ジャズダンスがさらに洗練されていきます。
ジャック・コール(Jack Cole)
「シアターダンスの父」と呼ばれるのがジャック・コール( 1911 ~ 1974 )です。
1953年:『紳士は金髪がお好き』
1954年:『ショーほど素敵な商売はない』
1965年:『ラ・マンチャの男』
ジャズダンスに、バレエ、モダンダンスだけでなく、東洋の民族ダンスも取り入れました。
ジャックコールはモダンダンスのテクニックをデニショーンから学びます。
その際、オリエンタル、とくにインドの影響を強く受けました。インドとジャズダンスを融合した「スンダリ・スタイル」を確立させ、のちの「ボリウッド(インド映画)」につながります。
・足を高く上げる
・回転技
・膝を曲げたり、低い重心
・上半身を柔軟に使う
バレエのテクニックだけでなく、コントラクション(背骨を丸める)といったモダンダンスのテクニックがふんだんに入っています。
またアイソレーションをジャズダンスに取り入れたのもジャック・コールです。
isolations(孤立)という意味で、身体の一部分だけを動かすテクニック
ジャック・コールのおかげで動きのバリエーションが一気に増えました。
そのため、ジャック・コールが「シアターダンスの父」と呼ばれるようになりました。
『 Tars and Spars 』
こちらは、1946年に公開された『Tars and Spars』というミュージカル映画です。
チャルダーシュ(ハンガリー音楽)という音楽で、バレエに近いジャズダンスが踊られています。
ほかのシーンでもいろいろな国の伝統舞踊にバレエやモダンダンスの要素が入っています。
紳士は金髪がお好き
ジャック・コールの代表品はマリリン・モンロー主演の『紳士は金髪がお好き』( 1953年公開)のこのシーンです。
このシーンは『ダイアモンドは女の子のベストフレンド』。
『 Tars and Spars 』では主演する俳優たちがしっかり踊っていました。ですが、マリリン・モンローはそこまで踊っていません。
歌はマリリン・モンローが歌っているわけではありません。ただ、歌の吹き替えは比較的かんたんにできますが、踊りの吹き替えは難しい。
ジャック・コールは「踊りがダメでもミュージカルに主演する」という形をつくりました。
こうして踊りの苦手な人気スターがミュージカルに主演できるようになりました。
1,500円ほど。
ジーン・ケリー
1942年にデビューした、ジーン・ケリー( 1912~1996 )の登場です。
『雨に唄えば』『踊る
ジーン・ケリーはジャズダンス、タップ、アクロバット、すべてにおいて素晴らしいテクニックを持っています。
『錨を上げて』
1945年公開の実写とアニメが融合された人気のある作品です。
ジーン・ケリーと一緒に踊るのは「トムとジェリー」のジェリーです。
ジーン・ケリーの踊りはとにかくパワフルです。重心が安定していて、身体がブレません。
この映像からわかるように身体能力が高く、ジャズダンスにアクロバティックな要素がかなり入っています。
体操的な要素がジャズダンスに入りモダンジャズダンスが確立されていきました。
1,500円ほど。
『雨に唄えば』
誰もが一度は聞いたことのあるこの曲。
1952年公開の『雨に唄えば』です。
憂鬱な雨さえも楽しくしてしまうジーン・ケリーなのでした。
1,500円ほど。
一度は観るべきミュージカル映画代表の作品です。ヒロインは、17歳の新人デビー・レイノルズです。
デビー・レイノルズ
16歳で芸能界入りし、たった 1年で『雨に歌えば』に大抜擢されます。
トニー・マーチンやアン・ミラーと『戦艦は踊る』(1955年)などの代表作を持ち、ミュージカル界を支える存在になります。
1979年以降はデビー・レイノルズ・スタジオという貸しスタジオをオープンします。
このスタジオを、マイケル・ジャクソン、マドンナ、シェール、マライア・キャリーなどが利用していました。
ちなみに『スター・ウォーズ』のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーのお母さんです。
キャリー・フィッシャーが2016年12月27日(60歳)にお亡くなりなった翌日、後を追うようにデビー・レイノルズもお亡くなりになりました(享年 84歳)。
ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ
ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。
自体重トレーニングは、継続しやすいプリズナートレーニングがオススメです。
2,200円ほど。
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オンラインレッスン
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身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

今回は、「1940年代のジャズダンスの歴史:モダンジャズダンス」についてでした。次回に続きます。
ありがとうございました。
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ダンサー体型を目指すトレーニング情報をまとめていますので、ぜひご覧ください。
ダンス上達のための身体の使い方、トレーニングの方法、体幹トレーニングについてまとめています。ピラティスやヨガもご紹介します。