ダンス狂時代の到来・技術の進化.jpg)
ジャズダンスはどう発展していった?
シンフォニックジャズの登場?
スイングダンスってどんな踊り?
前回は、1920年代前半「タップダンスとチャールストン」を紹介しました。
今回はジャズダンスにアクロバティックな要素が追加されていく歴史です。
元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。
今回は「1920年代後半のジャズダンスの歴史:ダンス狂時代、シンフォニックジャズとスイングダンス」に関してです。
※3分 ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。
1920年代後半
第一次世界大戦( 1914 – 1918 )の終結からアメリカ経済は爆発的に成長していきます。
ですが、この成長も終わりを迎え、大恐慌(1929-1930年代後半)時代に突入します。
この経済状況はジャズダンスにも影響します。
ダンス狂時代
人々の生活はかなり苦しくなっていました。ふだんの
この時代、ダンスコンテストが多く開催されます。とくに大会の賞金や賞品はとても魅力がありました。
この競争がダンスの発展に大いに影響します。ダンスが人に見せるためにどんどん華やかなパフォーマンスに進化していきます。
わずかな入場料でも、一晩中ダンスホールで楽しむことができました。ダンスはお金がなくても楽しめる娯楽として、ストレス発散の場として欠かせないものになっていました。
シンフォニックジャズ
オーケストラがジャズを演奏するシンフォニックジャズが、1920代後半に登場します。
楽譜通りに弾くのではなく、規則正しいリズム進行から外れること。この独特のノリがジャズミュージックにつながります。
ジャズダンスもあえて音を外すことで、個性が出て、かつオシャレになります。ほんのちょっとした違いで、表現の幅がかなり広がりました。
代表的な曲はジョージ・ガーシュイン作曲の『ラプソディ・イン・ブルー』。初めて指揮を振ったポール・ホワイトマンは「キング・オブ・ジャズ」としても知られます。
1924年にはじめて収録された『ラプソディ・イン・ブルー』。冒頭に登場するのがポール・ホワイトマン。アフリカンミュージックのブードゥーのドラム音を取り入れジャズミュージックが生まれたと語っています。
この映画で初めて演奏と映像の別撮りがされました。音楽にこだわりを感じるアイディア作品です。トウシューズをはいたダンサーも登場しています。もとの映像に色を加えた美しい作品で、おそろしく大掛かりなセットです。
日本においては『ラプソディ・イン・ブルー』は『のだめカンタービレ』で使用されていたので有名になりました。
20,000円ほど。
シンフォニックジャズが登場したことで、ジャズダンスがショーとして踊りやすくなります。
舞台芸術として、ジャズミュージックとジャズダンスのコラボレーションが増えていきました。
2,000円ほど。
スイングダンス
リズムで遊び、緩急をつけ、わざとリズムを外すスタイルのことを「スイング」といいます。
スイングダンス(スウィングダンス)はスイングジャズに合わせた踊りです。現在も踊られているジャンルで、細かく分けると 100種類以上のダンスがあります。
当時のスイングダンスは、今で言うクラブで音楽に合わせて身体を動かす程度で、スイングミュージックに合わせて身体を動かせばスイングダンスと言われていたようです。
そのため、誰でもスイングダンスを踊れたといいます。
テンポが速いジャズ。デューク・エリントンやルイ・アームストロングが名曲をたくさんリリースしたことにより大発展。
ビートを重視した音楽で、ダンスが踊りやすくなる。
バンドの人数がぐぐーっと増えジャズオーケストラと呼ばれる。大人数で演奏されるジャズを「ビッグバンド」と呼ぶ。
この時代のスイングジャズは熱いサウンドが特徴です。その後、白人にスイングジャズが取り込まれ第二次世界大戦を超えると、クールでより落ち着いた音楽に変身していきます。
5,000円ほど。先ほどの『のだめカンタービレ』に引き続き上野樹里さん主演です。
音楽の作品ですが、楽しみつつスイングを理解できる作品です。
現在のスイングダンスはかなり洗練されています。そのため、難易度の高いダンスとなっています。
リンディホップ
スイングダンスの中に入っている「リンディホップ」が代表的な踊りです。
黒人特有の身体能力を生かしたスタイルです。圧倒的ワクワク感のある踊りです。
黒人差別という大きな壁さえ壊した、とされています。
当時のダンスホールには黒人が入れない場所もたくさんありました。ですが、リンディホップで盛り上がる「サヴォイ」というダンスホールでは黒人が自由に入場できました。
圧倒的なテンポ感とアクロバティックな動きができる黒人ダンサーはむしろ大歓迎されました。
ニューヨークのハーレム地区にあったナイトクラブ。バンドの対決やダンスコンテストが人気で、競争によりテクニックが進化。サヴォイ出身のダンサーでグループを組み、ブロードウェイの舞台やヨーロッパ・ツアーまで行っていた。
現在は、ここまでのアクロバティックなスタイルはほとんどなくなりました。
さまざまなスイングダンス
スイングダンスの一部である「ブギウギ」は現在も社交ダンスの競技の種目となっています。ブギウギは、ブギと呼ばれる音楽に合わせて踊るアクロバティックなダンスです。
1950年代頃、ロックンロールが登場しブギウギに変化が起こります。今は、ロックンロールに合わせて踊るダンスがブギウギと呼ばれます。
現在のブギウギ。ゴキゲンです。
ちなみに1930年代後半、前回紹介したチャールストンもスイングダンスに取り込まれます。
ヒップホップにつながるステップ
1927年ごろには全身を波のように動かす「ウェイブ」も登場します。
アール・” スネイク・ヒップス “・タッカーです。
当時の女性たちを熱狂させたと言われています。
マイケル・ジャクソン、エルヴィス・プレスリーも、スネイク・ヒップスの動きを取り入れていたといいます。
1927年:トーキー映画
1927年、アラン・クロスランド監督『ジャズ・シンガー』がアル・ジョルスン主演で、部分的ではあるものの世界初のトーキー映画として公開されました。
トーキング・ピクチャー( talking picture )の略。映像と音声が同期した映画。それまでは映画館の映像に音声がなく、演奏者などが入っていた。
トーキー映画と、歌・ダンスは相性がとてもよく、この時代から多くのミュージカル映画が作られていきます。
1929年
アメリカは経済的に苦しむ大恐慌時代(1929年~1930年代末)に突入します。
1929年からキャバレーで上演されていたミュージカル・ショーがそのまま映画化されるようになりました。
1929年『サリー』マリリン・ミラー主演です。
映画になることでジャズダンスがより身近になっていったのでした。
ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ
ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。
自体重トレーニングは、継続しやすいプリズナートレーニングがオススメです。
2,200円ほど。
1日10分、6種類の種目、10ステップ、3レベルに分かれている自体重トレーニングの囚人トレーニング。トレーニング内容を全部紹介しています。
オンラインレッスン
ルーティーンを作るためにプロを利用するのもオススメです。オンラインレッスンはコスパがかなりよく、一流の先生かつ、内容のクオリティが高いです。
業界大手のヨガスタジオ「LAVA」は月2,000円ほどでほぼ受け放題です。ヨガ・ピラティスでけでなくトレーニング・筋トレ・ストレッチなどヨガ以外のフィットネス動画も豊富です。
筋トレ・ストレッチ・ヨガ・ピラティスなどなど膨大なアーカイブを月3,000円ほどでほぼ受け放題できる「SOELU」。
身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

今回は「1920年代後半のジャズダンスの歴史:シンフォニックジャズとスイングダンス」についてでした。次回に続きます。
ありがとうございました。
次の記事はこちら↓
ダンサーのような身体を目指すトレーニング情報はこちらにまとめています。
ダンス上達のための身体の使い方、トレーニングの方法、体幹トレーニングについてまとめています。ピラティスやヨガもご紹介します。