- バレエ界の常識を覆した「垂直のライン」や「9頭身」、ギエムの革命的な技術の秘密
- なぜパリ・オペラ座を電撃退団したのか:強い信念に隠された真実
- 伝説の裏にある人間としての哲学
「100年に1人の天才」
「バレエ界の革命児」
シルヴィ・ギエムを形容する言葉は数多くありますが、日本人にとっても特別な存在です。
2011年、東日本大震災。原発事故の影響で多くの海外アーティストが来日をキャンセルする中、ギエムは「こんな時だからこそ、日本に行く」と誰よりも早く駆けつけ、チャリティー公演を行いました。
ギエムは単なる「すごいダンサー」ではありません。恵まれた身体条件だけでなく、強い信念と、深い愛を持った素晴らしいダンサーです。
本記事では、そんな伝説的のダンサー、シルヴィ・ギエムの魅力と凄さ、バレエの歴史においてどう位置づけられるのかを解説します。
元劇団四季、テーマパークダンサー。舞台、特にバレエを観に行くのが大好きで、年間100公演観に行った記録があります。
※ 3分ほどで読み終わります。
【革命】「ギエム以前・以後」でバレエの常識はどう変わったのか?
シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem)の登場は、バレエ界にとって隕石が落ちたような衝撃でした。ギエムの出現により、世界中のダンサーや観客の「美の基準」が完全に書き換えられてしまったからです。
これをバレエ界では「ギエム以前」「ギエム以後」と呼びます。多くの舞踊評論家、ダンサー、バレエファンはシルヴィ・ギエムの登場こそ歴史の分水嶺(分岐点)になったと語っています。
何がそれほど革命的だったのか? 3つのポイントで解説します。
1:伝説の「垂直ライン」
ギエムの代名詞と言えるのが、片足を天高く、耳の横まで垂直に上げるポーズです。その完璧な直線の美しさから、時計の針になぞらえて「6時のポーズ(シックス・オクロック)」という呼び名が定着したほどです。
単に足が上がるだけでなく、その状態をキープする強靭なコントロール力と、甲のラインの美しさが、多くのファンを虜にしました。
それまでのバレエは、「足を高く上げることは良いものではない(品がない)」という不文律がありました。しかし、ギエムは圧倒的な身体能力と美しさでその常識を破壊します。
「高く上げることこそが美しい」という新しいスタンダードを作り上げました。
こちらの映像は1984年、当時19歳のギエムです。すでに完成された「異次元の美」を確認できます。
2:「9頭身」という残酷なまでの美的基準
ギエムは、バレエダンサーの体型基準(スタイル)を劇的に引き上げました。
| 身体的特徴 | 詳細 |
|---|---|
| 驚異のプロポーション | 小さな頭、長い手足、9頭身のバランス。 |
| 甲(こう)の美しさ | 足の甲が芸術品のように美しいアーチを描きます。 |
ギエムの登場以降、プロのバレエダンサーに求められるスタイルのハードルは格段に上がりました。
特に、厚みとしなりのある甲は、見る者を圧倒します。実際、足型が銅像になるほど評価を受けています。
出典:invaluable.com
【深掘り】美しさを支える「足裏」の秘密
パフォーマンスを支えているのは、驚くほど鍛え抜かれた「足裏の筋肉」です。下記の映像では、足を180度上げた状態(デヴロッペ)のまま、軽やかにルルベ(つま先立ち)をこなす姿が収められています。これは強靭な足裏があってこその神業です。
3:「守られるお姫様」からの脱却
技術だけでなく、表現における革命も起こしました。従来の女性ダンサーは、男性にサポートされる「儚(はかな)いお姫様」のという受け身な解釈が主流でした。
しかし、ギエムは違います。男性パートナーに依存せず、対等に渡り合う。自分の足で力強く立つ。そんな「自立した強い女性像」を舞台上で体現しました。
この現代的な解釈が、新しい時代の観客を熱狂させました。
【鑑賞メモ】舞台の空気が「パリッ」と変わる瞬間
僕が実際に劇場でギエムを観て、最も衝撃を受けたのは「空気の変化」です。
舞台袖から一歩足を踏み出すと、劇場の空気が「パリッ」と研ぎ澄まされます。 観客全員が息を飲み、自然と目が釘付けになる。「オーラがある」という言葉では片付けられない、圧倒的な支配力がありました。
ギエムの身体が生み出すラインは、ひたすらに強く、ひたすらに美しいものでした。
172cmの長身と自己管理の哲学
公式のプロフィールやフランスのバレエ専門メディアでは身長172cmという数値が定着しています。
また、引退後の2018年のインタビューで「現役時代と変わらず52kgを維持している」と明言しています。
ギエムは2011年頃から完全菜食(ヴィーガン)を貫いていて、その哲学がしなやかで力強い肉体を支えています。「肉や乳製品を摂っていた頃よりも、ヴィーガンになってからの方が身体が強く、エネルギーに満ちている」と語っています。
規格外から「新たな美の基準」へ
パリ・オペラ座バレエ学校の入学基準において、数値以上に重視されるのは「手足の長さ(プロポーション)」や「柔軟性」です。当時のバレエ界において、172cmの高身長と柔軟性を併せ持ったギエムは、まさに「規格外」の存在でした。この規格外の美しさで伝統的なバレエの枠組みを打ち破り、新たな美の基準を確立することになりました。
【事件】国会で議論されるほどの衝撃:フランスの国家的損失
1988年、バレエ界を揺るがす大事件が起きました。パリ・オペラ座バレエ団の至宝、シルヴィ・ギエムの電撃退団です。
当時のギエムは、芸術監督ルドルフ・ヌレエフの下、あらゆる作品で主役を務めていましたが、その実態は過密スケジュールの連続でした。
「もっと外の世界で、自由に踊りたい」
世界中からオファーが殺到していたギエムは、海外でのゲスト出演(自由な活動)を希望しましたが、パリ・オペラ座側は徹底した「囲い込み」を行い、これを認めませんでした。
「自由がないなら、ここにいる意味はない」
ギエムは、パリ・オペラ座との契約更新の隙を突き、退団を表明。このニュースはフランス全土を駆け巡りました。一人のダンサーの移籍にもかかわらず、フランス国民議会(国会)で議題に上がり、当時の文化大臣が説明を求められる事態にまで発展します。メディアはこれを「国家的損失」と書き立て、フランス中がギエムの流出を嘆きました。
しかし、騒動をよそに、ギエムは退団からわずか2週間後に海を渡ります。イギリスの名門「英国ロイヤル・バレエ団」でゲスト・プリンシパル(演目ごとの契約)を結び、念願の自由なキャリアをスタートさせたのです。
あだ名は「マドモワゼル・ノン(Noと言う女性)」
英国ロイヤル・バレエ団に移籍してからも、ギエムの「闘い」は続きました。ギエムは、自分が納得できない演出、衣装、指揮者、そしてパートナーに対しては、相手が誰であろうと断固として拒否しました。
それは、バレエ界の重鎮である振付家ケネス・マクミランに対しても例外ではありませんでした。決して媚びず、自分の美学にそぐわないものに首を縦に振らない。
そのあまりにも頑固で、妥協を許さない姿勢から、英国メディアは皮肉を込めてこう呼びました。
「マドモワゼル・ノン(Mademoiselle Non)」
しかし、これは単なるワガママではありませんでした。ギエムは大のマスコミ嫌いでも知られていましたが、それは「言葉で言い訳をするのではなく、舞台の結果ですべてを証明する」という強烈なプロ意識の裏返しです。結果として、ロイヤル・バレエ団でギエムの主張は尊重され、数々の名演が生まれることになります。
経歴:五輪を目指した少女がバレエ界の頂点へ
シルヴィ・ギエムは、もともとバレエダンサーではなく、オリンピックを目指す「器械体操」の選手でした。
1977年(当時12歳)、体操の国内予選を突破し、強化選手としてフランス代表チームの合宿に参加。その練習の一環として訪れたのが「パリ・オペラ座バレエ学校」でした。ここで運命の出会いが待っていました。当時の校長クロード・ベッシーが、ギエムの並外れた身体能力と足のラインに一目惚れし、スカウトしたのです。
「体操か、バレエか」
悩み抜いた末にバレエを選び、伝説への一歩を踏み出しました。
【伝説】わずか5日間の奇跡:19歳でのエトワール任命
ギエムの才能は、入団後すぐに開花します。特筆すべきは、1984年(19歳)の年末に起きた「伝説の5日間」です。
- 12月24日:昇進試験を経て「プルミエール・ダンスーズ(第2階級:上から2番目の階級)」へ昇進。同時に期待の若手に贈られる「カルポー賞」を受賞。
- 12月29日:初主演の『白鳥の湖』終演直後、舞台上で芸術監督ルドルフ・ヌレエフが最高位「エトワール」への任命を発表。
わずか5日の間にトップへ駆け上がるという異例のスピード出世は、パリ・オペラ座の長い歴史の中でも語り草となっています。
【略歴】シルヴィ・ギエムの歩み
| 年 | 主な出来事・マイルストーン |
|---|---|
| 1965年 | パリ近郊で生まれる。 |
| 1981年 | 16歳でパリ・オペラ座バレエ団に入団。 |
| 1983年 | ヴァルナ国際バレエコンクールで金賞・特別賞・優等賞の三冠を独占。 |
| 1988年 | パリ・オペラ座を電撃退団。英国ロイヤル・バレエ団のゲスト・プリンシパルとなる。 |
| 2015年 | 引退を表明。世界ツアーのラストステージとして「日本」を選択。 12月31日、東京での「東急ジルベスターコンサート」にて『ボレロ』を踊り、キャリアに幕を下ろす。 |
※ 1988年以降の「組織に属さないフリーランス」という活動スタイルも、当時のバレエ界では革命的でした。
進化:コンテンポラリーダンスでの開眼
クラシックバレエで頂点を極め、その美の基準を塗り替えたギエム。そこで留まらず、次なる進化として現代作品(コンテンポラリー)に果敢に挑戦。多くの振付家のインスピレーションとなりました。
特にそのキャリアを象徴する作品が、ラッセル・マリファント振付の『TWO』です。この作品は、一畳ほどの狭いスペースで、照明と身体が一体化する「視覚の魔術」として、ライブで観た人々に衝撃を与えました。
僕も、この『TWO』を世界バレエフェスティバルで観劇しました。古典作品を好んで観ていましたが、この作品を観て現代作品の可能性に一気に引き込まれました。
舞台上に設置された四角い照明のフレーム。その光と暗闇の境界を身体が通過するたび、音響がピタリとシンクロします。光によって身体のラインが強調され、動きの軌跡が音によって視覚化されるという演出。
ギエムの強靭な身体制御が、目と耳で感じる未体験の空気感を作り出し、まさに「オーディオビジュアル・アート」を体現していました。映像では伝わりにくいですが、このライブの衝撃こそが、ギエムが「革命児」と呼ばれる理由です。
創造の源泉となった作品
また、20世紀後半を代表する巨匠たちの創造の源泉となり、以下の作品で新しい魅力を開花させました。
これらの作品を通して、ギエムはクラシックの技術を現代の表現に昇華させ、バレエ界に「エトワールは古典だけを踊るべきではない」という新しい価値観を定着させました。
黄金期:ギエムを生んだ「ヌレエフ世代」とは?
ギエムを語る上で欠かせないのが、見出した恩師ルドルフ・ヌレエフの存在です。1983年から芸術監督を務めたヌレエフは、妥協のない厳しい指導でダンサーたちを徹底的に鍛え上げました。
パリ・オペラ座バレエ団ではないですが、ヌレエフの実際のリハーサル動画が残っています。指導の厳格さが伝わる貴重な資料です。
この時期に育ったダンサーたちは「ヌレエフ世代(ヌレエフの子供たち)」と呼ばれ、パリ・オペラ座の黄金期を築きました。
代表的なヌレエフ世代のスターたち
| 氏名(原語表記) | 特徴 |
|---|---|
| シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem) | その筆頭格、バレエ界の革命の象徴 |
| イザベル・ゲラン(Isabelle Guérin) | ギエムと並ぶ古典美の女王 |
| パトリック・デュポン(Patrick Dupond) | ギエムと並ぶ時代のアイコンで暴れん坊 |
| ニコラ・ル=リッシュ(Nicolas Le Riche) | 野性味あふれる個性派、ギエムの晩年の主要なパートナー |
| ローラン・イレール(Laurent Hilaire) | ギエムの良きパートナー、名教師としても有名 |
| マニュエル・ルグリ(Manuel Legris) | 元ウィーン国立バレエ団芸術監督 |
| ジョゼ・マルティネス(José Martinez) | 現パリ・オペラ座舞踊監督(※2025年時点) |
ここに挙げたのは、その中でも特に世界的に影響力が大きかったごく一部の代表的なスターたちです。互いに切磋琢磨し、バレエの技術と芸術性を極限まで高め合っていました。現在のパリ・オペラ座の輝きは、この世代が築いた土台の上にあります。
系譜:バレエ史におけるギエムの位置づけ
バレエの歴史には時代を変えた「怪物」たちがいます。
| 年代 | ダンサー名(原語表記) | 功績・異名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1900年代 | ヴァツラフ・ニジンスキー (Nijinsky) |
跳躍の神、表現の革命 | 男性ダンサーが主役になる時代を切り拓いた最初の「怪物」。 |
| 1940年代 | マイア・プリセツカヤ (Plisetskaya) |
ドラマティック・バレエの女王 | 旧ソ連の至宝。長きにわたり伝説として君臨。 |
| 1940年代 | マーゴ・フォンテイン (Fonteyn) |
イギリス・バレエの象徴 | 優雅さと気品で世界を魅了。ヌレエフとのパートナーシップも有名。 |
| 1960年代 | ルドルフ・ヌレエフ (Nureyev) |
男性舞踊の革命、スター・システム確立 | 圧倒的なカリスマ性で、ダンサーを「スター」として確立させた。 |
| 1970年代 | ミハイル・バリシニコフ (Baryshnikov) |
超絶技巧、技術の頂点 | 驚異的なジャンプとターンで、男性ダンサーの技術的限界を引き上げた。 |
| 2000年代 | シルヴィ・ギエム (Guillem) |
垂直のライン、美の基準の変革 | 過去の技術を受け継ぎ、自立した女性像という新たな価値観をもたらした。 |
そして2000年代以降、この系譜の正統な後継者として、かつ「女性ダンサーの自立」という新しい革命を加えたのがシルヴィ・ギエムです。間違いなく、後世の教科書に「歴史を変えた人物」として記される存在です。
パートナーとの化学反応とギエムの「素顔」
シルヴィ・ギエムは身長172cmと長身であり、ダイナミックな踊りに対応するため、共演する男性パートナーも自然と長身のダンサーが多く選ばれました。
【主なパートナー】
- ローラン・イレール
- パトリック・デュポン
- マニュエル・ルグリ
- ニコラ・ル=リッシュ
- ジョナサン・コープ
特に2000年代以降、日本での公演の主要なパートナーを務めたのがニコラ・ル=リッシュです。彼の個性的な演技力、ダイナミックな踊り、豊かな音楽性は、ギエムの強靭な技術と見事に融合し、多くの記憶に残る名演を生み出しました。
古典作品の「必見映像」と検索のヒント
ギエムが古典作品をどのように解釈したかを知ることは、真髄に迫る鍵となります。
しかし、活動期が古いため、公式なDVDやBlu-rayは現在入手困難な状況にあります。幸いにも、貴重な映像の多くは動画サイト(YouTubeなど)にアップロードされています。以下に、映像をご紹介します。
『白鳥の湖』
解説:ニコラ・ル=リッシュとのアダージョは、古典作品でありながら「垂直のライン」と「自立したヒロイン像」が際立つ必見の映像です。
『ドン・キホーテ』
解説:ニコラ・ル=リッシュとの強烈な個性が火花を散らす、エネルギーに満ちた作品です。
『マノン』
解説:第1幕「寝室のパ・ド・ドゥ」。ゾルタン・ソイモジーによるデ・グリューの繊細な演技と、ギエムの圧倒的な存在感が対比されています。
『グラン・パ・クラシック』
解説:マニュエル・ルグリとの超絶技巧のテクニック合戦です。特に、片足で連続的に動き続けるバリエーションは、ギエムの強靭な足裏のコントロール力が光る神業で、代表作の一つです。
自由な表現とリハーサルの秘密
ギエムの革新性は舞台上だけでなく、そのレッスンスタイルにも表れていました。
一般的なバレエレッスンでは、シューズの紐を靴の中に隠すのがマナーとされています。しかし、ギエムはトウシューズの紐をあえて外に出したり、レッスン着をラフに着こなしたりします。その自然体で自由なスタイルが、美しさと格好良さを一層際立たせています。
ローラン・イレールがパートナーを務めます。楽しそうな雰囲気に思わず笑顔になってしまいます。普段の「鋼」のような緊張感とは違う、親密なパートナーシップの中で見せる素顔が垣間見えます。
日本人を勇気づけた行動:ギエムの精神と情熱
シルヴィ・ギエムが、技術を超えて世界中で愛され続けた理由。それは、舞台からあふれる人間としての強さと、その裏にある優しさにありました。
日本文化への深い共感と美意識
ギエムはかねてより日本文化に深い共感を示し、「日本の持つ、洗練され、細部へのこだわりが感じられ、シンプルでありながら相手を思いやる精神」を、自らの表現にも取り入れていました。
フランス政府の反対を押し切った「HOPE JAPAN」
その人間的な強さが最も象徴的に表れたのが、2011年の東日本大震災後の行動です。
当時、原発事故への懸念から世界中で「日本への渡航自粛」が叫ばれ、予定されていた海外アーティストの公演が次々と中止になる中、ギエムだけは違いました。フランス政府が自国民の退避を勧告するほどの緊迫した状況下で、ギエムは周囲の猛反対を押し切ります。
「友人が苦しんでいる時に、背を向けることなんてできない」
ギエムは、来日してチャリティー公演ツアー「HOPE JAPAN」を敢行します。全国12都市を回って、被災地の人々を含む日本中を勇気づけました。
伝説の『ボレロ』
そのHOPE JAPANツアーの東京公演千秋楽。観客の感動が最高潮に達する中、ギエムは舞台の床に深くキスをしました。それは、傷ついた日本と、そこに生きる人々への、言葉を超えた愛のメッセージでした。
また、2015年に行われた引退公演のラストステージ(東急ジルベスターコンサート)で特別に披露されたのも、モーリス・ベジャール振付の『ボレロ』でした。強靭な精神が凝縮されたこの作品は、まさに日本への深い愛の象徴となりました。
「100年に1人の天才」は、心もまた、誰よりも強靭で美しいダンサーでした。
引退後のギエムが伝えたかったこと
ギエムが舞台を去った今も、その熱い精神と情熱は映像の中で永遠に輝き続けています。なぜあれほどまでに妥協せず、常に挑戦し続けられたのか。
最後に、世界を代表するバレエダンサー、ダニール・シムキン(アメリカン・バレエ・シアター所属)による引退後のシルヴィ・ギエムへのインタビュー映像から「生きる哲学」を読み解きます。
インタビューから読み解く3つの哲学
ギエムの言葉からは、バレエ界に留まらない、普遍的なメッセージが伝わってきます。
1:幸せこそが最高のパフォーマンス
ギエムは「踊ることで自分が幸せである限り、私は続ける」[00:01] と語っています。周りの評価ではなく、自身の内面から湧き出る「納得」と「喜び」を最優先にした結果でした。
2:恐れを越えた先にある挑戦
「怖がらなければ何でも可能性はある。その精神はあなたを傷つけない」[00:30]。常に新しい挑戦を望み[00:41]、挑戦を「少しの恐怖の一歩上にあるもの」[00:45]と表現しました。挑戦とは、不安を克服した場所にあるのではなく、不安を抱えたまま一歩踏み出すことだという哲学です。
3:観客への誠実さ
ギエムは、自分のパフォーマンスが観客に伝わると信じていました。「観客は情熱を感じます。もし観客に伝えることができたなら、あなた自身を見てくれるでしょう」[00:33]。これは、観客を置いてきぼりにせず、誠実に向き合い続けるというプロフェッショナルとしての強い責任感を示しています。
インタビュー映像のラストで、ギエムはすべてのクリエイターや挑戦者に向け、普遍的なメッセージで締めくくっています。
「自分の行動を愛し、自信を持って」
命を削ってバレエと向き合い続けた末にたどり着いたこの言葉。自分の仕事や挑戦に誠実であることの重要性を教えてくれています。
映像を手元に残す意味
シルヴィ・ギエムは、ただのバレエダンサーではありません。自由で挑戦的な舞台は、ダンサーを目指す人はもちろん、バレエに興味を持つすべての人にとって、芸術観、そして価値観を一変させるほどの衝撃を与える存在です。
現在、ギエムの舞台映像の多くはYouTubeなどの動画サイトで観られます。公式に販売されている映像作品は少なく、いつ廃盤になってもおかしくないアーカイブとなっています。
ギエムは永遠です。
今回は「シルヴィ・ギエム」という伝説についてお届けしました。
バレエ作品に関してはこちらにまとめています。ぜひご覧ください。







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