ダンス道(ジャズダンス上達のための)プロフィール

当サイトに足を運んでいただき、どうもありがとうございます。

プロのダンサーとして15年ほど活動し、テーマパーク、劇団四季を中心に踊っていました。

ダンスの先生をしたり、舞台で振付などの活動の経験もあります。

出演回数は 8,000回以上。

テーマパークで30分ほどのショーを1日5回ほど踊っていたので、かなりの回数出演しました。

目の前のお客さんが喜んでくれたり、手紙をいただいたり、出演者同士で涙を流すほど感動する経験は忘れられません。

と同時に、舞台で転んだり、人とぶつかったり、小道具を壊してしまったり、舞台から落ちてしまったり、演出家からキツイ言葉をもらったこともあります。

8,000回も経験したので、本当にいろんなことがありました。

パフォーマンス映像

実際に踊っている映像がこちらです。

GReeeeNさんの『アリアリガトウ』の Music Video です。

そこまで踊っていませんが、パパ役で出演しています。


ラッキーなことにオーディションで選ばれました。

大学生ダンサー

ダンサー人生の始まりは大学3年生。

幼少期バレエをやっていましたが、その後しばらく離れていました。大学生になり本格的にダンスのレッスンを再開します。

大学にダンスサークルもありましたが、あまり心が惹かれなかったので、映画のサークルに入っていました。

でもダンスを再開したい気持ちが強かった。

ということで受け放題のダンススクールに通っていました。

このときは 1日 6時間ほど、毎日のように踊っていたと思います。

これだけ踊っていたので、自分の力がどれくらいあるのか試したくなりました。

初めてのオーディション

挑戦したのはテーマパークのオーディションです。

浦安にある体育館で受けた初めてのオーディション。

今でもよく覚えています。その後、本社内でのオーディション。そして、最終面接。

結果は合格。

大学生をやりながらダンサーができるとは思わなかったので、まさかまさかの出来事でした。

人生が変わった瞬間でした。

とはいえ、マネージメント担当の方にはこう言われました。

「大学は卒業したほうがいいです」

これはありがたいアドバイスでした。ダンサーはいつ踊れなくなるかわかりません。そのための備えです。

プロとしての舞台

テーマパークで週5日プロとして踊り、週2日大学に通っていました。

最初は、船上で太鼓をたたく役でした。出演時間は5分程度。同期のダンサーたちがガンガン踊る中、僕は1年間、5分だけの出演でした。

もっと踊りたい気持ちでいっぱいでした。

とはいえ、プロとして働き始めたことで出演料をもらうことができました。

今とは給料のシステムが違かったので、大学生にとってはすごく割の良いバイトでした。

当時は1つのショーに対して出演料が払われていました。同期には1日に5回ショーに出演している人もいましたが、給料はそこまで大きく変わりません。

2時間30分の拘束時間で、5分の出演。

十分な給料。完成度の高いショーに出演でき、豪華な衣装を着ることができる。

でも、人と比べて落ち込むことの多い、1年でした。

男性ジャズダンサー

テーマパークで1番の経験は、仲間との出会いです。

ダンススクールのジャズダンスのレッスンでは、僕ひとりしか男がいないことも多くありました。

そんな中、プロの現場にはジャズダンサーの男性がたくさんいました。

ジャズダンスを語り合える仲間がたくさんでき、ダンスへの興味がどんどん増えていきました。

もらった給料はほぼ全部ダンスに使いました。実家に住んでいましたが、大学生という身分だったのでお金を入れる必要もありません。

レッスンに行ったり、舞台を観に行ったり。

周りのダンサーが疲れている中、出演時間が短いので全然疲れていない!

仕事後に3レッスン受けても問題なし。

また、テーマパーク内でトレーニングクラスがあり、積極的に参加していました。教えてくださった方はテーマパーク創業期から関わっていた人で、ダンスのことだけでなく、歴史なども教えてもらうことができました。

いま思い返すとかなり贅沢な時間だったと思います。

この下積み経験が僕を強くしてくれました。

次の年、契約更新のオーディションでかなり順位が上がり、一気に仕事が増えました。

昼から夜にかけショーに出演し、深夜から早朝にリハーサル。

長い時は16時間ほどいることもありました。でもすごく充実した日々を過ごしていました。

劇団四季へ

テーマパークの仕事も充実していましたが、ステージショーに出演する機会がなく悩んでいました。

もう少しがんばれば出演の機会も巡ってきたと思いますが、待てなかった。

そこで新たなチャンスを求め劇団四季のオーディションを受けました。

オーディションは1,600人が参加。正団員は15名ほどしか採用されませんでした。

受かったのはかなりの自信になりました。

このとき『コーラスライン』のダンスが課題でした。ベストパフォーマンスと言える出来だったと思います。

全国を回る日々

劇団四季では、ファミリーミュージカル『はだかの王様』の全国公演に参加していました。

北海道から本州、いろいろな場所を回りました。特に東日本大震災後の東北地方での公演は、とても貴重な公演となりました。

ですが、日々の仕事に忙殺され、自分のための時間をつくることができませんでした。早朝から劇場に入り、出るのは夜遅く。舞台に出演しながら自分の実力を上げるのが難しい状況でした。

テーマパークではスタッフの方がいろいろやってくださいましたが、劇団四季はそれぞれの作品で小さな劇団のようになっています。

スタッフさんは最少人数しかいません。

同じ地域にとどまることはなく、場所ごとに数回しか公演を行いません。1日だけということもあります。

公演が終わったら急いで片付けをして次の場所に行きます。

片付けをしながら公演に出演する。

とくに新人は仕事がとても多かったです。

洗濯も自分たちでしていました。洗濯機を運んで自分たちで洗濯です。

自分たちが出演してる中でも新人は洗濯を同時進行でやっていました……。

僕はオーディションに合格してからん1年ほど在籍しましたが、5年のように感じていました。

しかも、一度ファミリーミュージカルに配属されると3年はそのままかも……、と。

この状況が3年はかなりツラい。

退団を決意します。

家族には反対されました。

「せっかく劇団四季に入ったのに……」と。

でも追い詰められてもいたので、辞めて正解だと今でも思います。

ただし辞めるのであれば、思い切ったことをしたい!

そして、ずっと行きたいと思っていた留学を決意します。

留学の準備に1年。ダンスは続けながら、英語の猛勉強をしました。

留学

スクールに通うことなく、自分ひとりですべてやったのはかなり大きな経験になりました。

頼んだのは応募書類の英訳がちゃんとできているかのチェックくらいでした。たしか2万円ほどかかりました。

ついでに少しアドバイスをもらいましたが、それ以外は自分で調べ、自分で応募しました。

アメリカのピッツバーグにある「point park university」のダンス学部へ入学します。

Jazzダンスを専攻していました。

僕の目的はジャズダンスの恩師を見つけること。そして、素晴らしい先生と出会うことができました。

ですが、刺激が欲しくなり、1学期を終えた後ニューヨークに移動します。先生からの勧めでもありました。

ニューヨークは最高!!

ですが物価が高い。

かつかつにしたら2年いられる……。

ここで方向転換をします。

思い切って1年にし、やりたいことをやりました。

そのお金で舞台に行きまくりました。留学の1年で100公演以上舞台を観ました。

ダンスに関する知識がグッと深まった1年でした。

再度テーマパークに

日本に帰ってからは再度テーマパークのダンサーになりました。

実は前回辞めたとき、心の中がモヤモヤしていました。

というのも東日本大震災が起こったからです。

心の準備なく、急に終わりを迎えてしまいました。しっかり辞めることができずショックだったのを覚えています。

この経験もあり、テーマパークに戻りました。

ですが、3年のブランクはとても大きいものでした。

会社のシステムが大きく変化し、多くのダンサーが入れ替わっていました。

以前いた時は、開園当初から20年以上踊っているダンサーの先輩もいました。ですが、こうしたダンサーの給料は高い。新人2人雇ってもお釣りがきます。

テーマパークでは文書化されていないダンサーのノウハウがあります。ダンスだけでなくパフォーマンスにはコツがあり、守られてきた精神があります。

先輩ダンサーから当たり前のことが伝承されていました。嫌な先輩もいたし、面倒なこともありました。ですが、とても大事なものだった……。

ダンサーが入れ替わったことで伝承がストップしていました。

1度なくなってしまったものは取り戻すのは難しい。2度と同じものは作れないことを実感しました。

あまりの変化、しかも悪方向への変化があり、ギャップに苦しみました。

新たな可能性

テーマパーク1本に絞るのではなく、逃げ道を自分で用意することにしました。

ダンス講師の仕事もやるようになりました。

そして、まったく違う分野の英語講師の仕事も始めます。結果的に英語の成績がかなり伸び、すごく感謝しています。

また、俳優としての可能性を求め芸能事務所のスクールにも行っていました。2年間スクールに行った後、その事務所に所属しました。

裏方に

ダンスの仕事はキラキラしていて楽しいものの、同時に芸能の仕事に絶望することもありました。

まだまだ踊れるものの、表舞台にあまり挑戦しなくなりました。

表舞台を支える仕事にも興味があったので勉強を始めました。

そのために映画の学校に行きました。

このつながりから、舞台の振付、演出助手につながり、テレビのバラエティ番組の制作をしていたこともあります。

人生にダンスを

ダンサーとしての人生は終わりましたが、ダンスは僕そのものになっています。

物事を考えるとき、自然とダンスを軸にしていることが多いです。

僕が専門とするジャンルは「ジャズダンス」「コンテンポラリーダンス」がメインです。ただ、レッスンに行くのはバレエが多いです。

ストリートダンスも好きで、HIP HOP、HIP HOP JAZZ、HOUSEも大好きです。

今は新たなジャンルにも挑戦中です。

以上、僕のプロフィールでした。

趣味

最後にもう少しだけ。

舞台鑑賞がなによりの趣味で、海外ドラマも大好きです。

好きなバレエ団

シュツットガルトバレエ団
ニューヨーク・シティ・バレエ団

好きな作品

「椿姫」
「シンフォニー・イン・C」
「ロミオとジュリエット(マクミラン版、クランコ版)」

好きな振付家

ジョン・ノイマイヤー

好きなダンサー

アレクサンドル・リアブコ
ジェイソン・レイリー
ホワキン・デ・ルース
ニコラ・ル・リッシュ
タイラー・ペック

ブログを始めた理由

自分の経験。海外で学んだこと。いまも学んでいること。

やっぱり記録しておかないと忘れてしまう!

ジャズダンスの知識をコツコツと更新していきたいと思います。

とくにトレーニング法は時代によってどんどん変わっています。そのため考えも変わることもありますが、記録として残していきたいと思います。

思い

現役時代よりも今の方が、身体の使い方が上達していると思います。

ガムシャラに踊っていたあの時期。

その当時に知っておきたかった知識。

ダンスをこれからやりたい人、ダンスを極めたい人、知識としてしっておきたい人。

ジャズダンスの知識を一緒に深めましょう。

よろしくお願いします。