
ジョージ・バランシンとは?
バレエの歴史を変えた人物?
振付の特徴は?
ジョージ・バランシン(George Balanchine)は、20世紀のバレエ界に革新をもたらした伝説的な振付家であり、「アメリカン・バレエの父」として世界中で知られています。ロシア帝国時代のサンクトペテルブルクで生まれ、厳格なクラシック・バレエ教育を受けながらも、亡命先の西欧、さらには新天地アメリカで独自のバレエ芸術を確立しました。
本記事では、バランシンの経歴・華麗な輝きとともに、彼がダンサーに課した厳格な指導法についても詳しく掘り下げます。
元劇団四季、テーマパークダンサー。舞台、特にバレエを観に行くのが大好きで、年間100公演観に行った記録があります。
※ 3分ほどで読み終わります。
バランシンの生い立ちとキャリア
まずはバランシンの人生をご紹介します。
ロシアでの厳格な教育|初期の活躍
- 1904年1月22日:サンクトペテルブルクに生まれたバランシンは、帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)で幼少期からクラシック・バレエの技術を徹底的に学びました。(父はグルジア人の作曲家、母はピアニスト、弟は作曲家)
- 1914年:ロシア帝室バレエ学校(現ワガノワ・バレエ・アカデミー)入学、レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)でピアノと作曲法も学ぶ
- 1921年:マリインスキー・バレエ団に入団。プロのダンサーとしてのキャリアをスタート。
亡命・革新的な振付家としての台頭
- 1924年:ロシア革命後の混乱を背景に、自由な創作を求めて西欧へ亡命。ロンドンでセルゲイ・ディアギレフに認められ、「ロシア・バレエ団」(後のバレエ・リュス)に参加します。
- この時期に発表された『アポロ』(1928年)や『放蕩息子』(1929年)は、クラシック・バレエとモダンな感性を融合させた革新的な作品として評価され、彼の独自スタイルの確立につながります。
- 1929年:ディアギレフの急死により「バレエ・リュス」解散
- 1933年:バレエ団「 Les Ballets 1933 」設立。前衛的すぎてすぐに解散
アメリカへ|ニューヨーク・シティ・バレエの創設
- 1933年:アメリカ人バレエ愛好家リンカーン・カースティンの招きにより渡米。翌年、ニューヨークにスクール・オブ・アメリカン・バレエを設立し、自らの振付スタイルを体現できるダンサーの育成に注力します。
- 1935年:バレエ団「アメリカン・バレエ」創設
- 1938年:「アメリカン・バレエ」が解散
- 1941年:戦時中に「アメリカン・バレエ・キャラバン」を発足し 6ヶ月南米ツアー。その後解散
- 1946年:リンカーン・カースティンと共に「バレエ協会」(後のニューヨーク・シティ・バレエ団)を創設
- 1948年:「バレエ協会」の名称を「ニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)」に変更。アメリカのバレエ界において革新的な表現のプラットフォームが確立され、彼の理想とする「アメリカ人の気質に合ったバレエ」が実現されました。
- 1964年:ニューヨーク・シティ・バレエ団がリンカーン・センター内のニューヨーク州立劇場(後のディヴィッド・H・コーク劇場)の常設バレエ団に
- 1983年4月30日:79歳で死去
こちらが現在のリンカーンセンターです。
「アメリカのためのバレエ団」を夢見たバランシンは、アメリカ人の気質に合わせた明るく洗練されたバレエ作品の数々をNYCBで生み出しました。ブロードウェイのミュージカルのような気軽さとエネルギー溢れる作風が特徴です。
バランシン・スタイル|その特徴
ジョージ・バランシンは、伝統的なクラシック・バレエの様式美を基盤にしながらも、以下のような革新的な振付スタイルを打ち出しました。
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ネオクラシカル・バレエの確立
バランシンは物語性を排し、純粋な音楽と身体表現の融合に重点を置いた抽象的な構成を追求しました。これにより、音楽のリズムやダイナミズムが際立つ新たなバレエの形を創り出しました。(ネオは「neo:新しい」という意味) -
高速ステップと深いプリエ
ダンサーには、極めて速い動きと深いプリエ(ヒザの曲げ)が要求され、作品に独特のダイナミズムと迫力をもたらしました。 -
独特なアラベスクと手の使い方
バランシンスタイルの腕のラインは独特で、アラベスクも従来のクラシックバレエとは異なります。
左|スヴェトラーナ・ザハーロワ:伝統的なアラベスク
右|ミーガン・フェアチャイルド(NYCB):股関節を大きく開き、手は直線的なライン「Studio R Ballet」より
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アスレチックな要素
高度な跳躍技、切れのあるピルエットなど、身体能力を最大限に活かす動きが多く、バレエの技術的な水準を一段と引き上げました。
ネオクラシカル・バレエと批判
ジョージ・バランシンは、従来のクラシック・バレエの枠を超える新しい技術を取り入れることで、ネオクラシカル・バレエを確立しました。
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足の高い上げ方
従来のバレエでは、足を上げる際のラインはあくまで自然な曲線に留まるのが一般的でした。しかし、バランシンはダンサーに対し、より高く、垂直に脚を上げることを求めました。これにより、ダンサーの身体のラインが際立ち、躍動感や力強さが表現される一方、伝統的な美意識からは「過剰だ」と批判されることもありました。 -
ピルエット時の独特な手の位置
バランシンの振付では、ピルエット(回転)の際の手の位置にも特徴が見られます。手の位置を身体に近くすることで、高速回転を実現しています。ただし、これもまた、古典派の美学に慣れた批評家からは違和感を指摘されることがありました。
上記はタイラー・ペック、チェイス・フィンレイによるピルエットです。
テンポの違い
バランシンの作品は世界中のバレエ団で上演されていますが、中でもニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)はひと味違います。バレエ公演では、ダンサーが踊りやすいよう音楽のテンポを調整することがあります。ですが、NYCBは原曲のテンポを極力尊重し、調整を行いません。その結果、音楽のリズムに合わせてダンサーが高速で動く必要があり、ステップやジャンプの速さが際立ちます。
近年、ダンサーの技術が向上したこともあり、ピルエットの回転数が増え、ジャンプの高さやバランス保持の持続時間も伸びています。そのため、同じ楽曲でも現代の公演では、音楽のテンポ自体が相対的にゆっくりと感じられるようになり、オリジナル版に比べ上演時間が30分から1時間長くなることもあります。例えば、『白鳥の湖』の初演時と比較すると、現代公演では演技のテンポが遅くなることで全体の上演時間が延びています。
こちらは、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』です。この映像では、タイラー・ペック、ホワキン・デ・ルーが踊っています。速いテンポにも関わらず音楽に乗り遅れず、精密なステップを踏む姿が印象的です。これにより、バランシンのオリジナルの意図である「音楽とダンスの純粋な一体感」が、現代の技術力とともにさらに深い表現へと進化しています。
映画『ファンタジア』のへ影響
バランシンの革新性は、従来のクラシックな形式を打破し、身体の美しさと音楽の融合を追求した点にあります。
その証拠となるのが、ディズニー作品『ファンタジア』(1940年公開)です。
クラシックの名曲(8曲)と、アニメーションを融合させた革新的な作品で、セリフを持たない詩的な表現が特徴です。アニメーション内には、バレエの美しい表現が多く取り入れられており、その一部のシーンには、バランシンの振付技法や美意識が影響を与えたとの説があります。実際、バランシンの名前自体はクレジットにはありませんが、彼が1938年に振付した映画『華麗なるミュージカル(The Goldwyn Follies)』との共通点から明らかです。
この 2年前( 1938年)に公開されたのが『華麗なるミュージカル( The Goldwyn Follies )』です。
さらに、1941年3月23日に撮影された写真には、左からバランシン、ストラヴィンスキー(音楽家)、T・ヒー(アニメーター)、ウォルト・ディズニーが並んでいます。この1枚の写真は、バランシンの存在感とその芸術への情熱が、ディズニーの作品にも息づいていることを示しています。
「Arizona Public Media」より
抽象バレエの確立
ジョージ・バランシンは、従来の物語バレエから一歩踏み出し、音楽という目に見えない芸術を、視覚的に表現する新しいジャンル「抽象バレエ」を確立しました。抽象バレエは、シンフォニック・バレエとも呼ばれ、交響曲に合わせたテーマのない振付作品として、音楽のリズム・構造をダンスで直接表現することを追求しています。
バランシンの抽象バレエへの挑戦
バランシンの振付は、音楽そのものの躍動感やリズム、メロディーを視覚的に再現することを意図しており、抽象バレエの概念を体現するものとなっています。「音楽がなければダンスもない」という信念のもと、音楽の構造や音の強弱に忠実な振付を行いました。
『シンフォニー・イン・C』の革新
その代表作のひとつが、ジョルジュ・ビゼー作曲の『シンフォニー・イン・C』です。もともとは『水晶宮』という題名で、宝石をテーマにした華やかな作品でしたが、バランシンはその要素をあえて取り去り、色彩のない白黒のシンプルな世界へと改題しました。これにより、作品は音楽の純粋な構造を強調する形に変化します。つまり、交響曲としてのリズムやメロディーの持つ美しさを表現し、抽象バレエの極致に到達しました。
バランシン振付『 シンフォニー・イン・C 』の第4楽章です。
New York City Balletより
作品はこちらで紹介しています。
この変革は、従来の視覚的な華やかさに頼るバレエとは一線を画し、観客に対して「音楽そのものを身体で感じる」という新たな体験を提供しました。バランシンは、音楽とダンスの融合において、テーマや物語を排除することで、より抽象的かつ純粋な表現の世界を創出しました。
抽象バレエの意義とその後の影響
抽象バレエは、ダンサーの身体が音楽のリズムや構造を直接表現することで、視覚と聴覚が一体となった新たな芸術表現の可能性を示しました。バランシンのアプローチは、ダンスの技術面だけでなく、芸術表現の幅を広げる革新的な試みとして、後進の振付家たちに多大な影響を与えています。さらに、抽象バレエは、従来の物語性に依存しないため、観客が各自の感性で自由に解釈できる余地を残しています。
厳格な指導法とダンサーへの影響
バランシンの指導法は極めて厳格であり、彼の要求はダンサーにとって大きな挑戦となりました。
身体基準への徹底した要求
- 理想的な体型
バランシンは、以下のような理想的なプロポーションを求めました。- 厚みのある甲と深いアーチのある足裏
- 長く引き締まった脚
- 短い胴体と細いウエスト
- 長い首と小さな頭部
英語圏でのエピソード:厳しさの実体験
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ゲルシー・カークランドの証言
プリンシパルダンサーであったゲルシー・カークランドは、自伝『Dancing on My Grave』において、バランシンの指導の厳しさを記録しています。彼女は、リハーサル中にバランシンが「骨がわかるくらいでなければならない」とまで厳しく指摘し、身体のラインや筋肉の使い方について容赦ないダメ出しを繰り返したと証言しています。- 特に女性ダンサーたちに自らの理想を叩き込むために徹底したトレーニングを要求していました。例えば163cmの場合、理想体重を43kg以下という体型基準が課されていました。実際にこの基準に合わないダンサーは厳しいフィードバックを受けることがありました。
- バランシンの指導法には、極端な方法も含まれていたと伝えられています。ダンサーの疲労回復やパフォーマンス維持のために、アンフェタミンや興奮剤などの薬物を使用させていたというエピソードがあります。アンフェタミンは、覚醒作用のある違法薬物です。彼の美意識と完璧を追求する厳格な姿勢の裏側にある、衝撃的な事実として語られることがあります。
現代の視点からは許されない方法です。バランシンがダンスの限界を追求するあまり、ダンサーの健康を犠牲にする側面があったと解釈できます。ただし、当時の過酷な競争環境を考えると判断が難しい部分です。「ダンサーに対して時に冷徹だからこそ、身体を彫刻のように仕上げることができる」と評価されることが多く、彼の指導法は芸術性と技術の両面からダンサーを成長させるための過酷なプロセスとも受け取れます。
バランシンのミューズだったゲルシー・カークランドと、伝説のダンサー:ミハイル・バリシニコフによる『テーマとバリエーション』(バランシン振付)です。
バランシンの遺産と現代への影響
ジョージ・バランシンが築いたバレエの革新は、彼の没後も世界中で受け継がれています。ニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)は、彼の精神と技術を守り続け、現代のバレエシーンにおいても高い評価を得ています。また、ジョージ・バランシン・トラスト(バランシン財団)は、彼の遺産の保存・普及に努め、振付の上演権管理や教育プログラムを通じて、バランシンの革新的な理念を後進に伝えています。
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多彩なレパートリーの継承
NYCBは、クラシック音楽に基づいた抽象的な作品から、ジャズやアメリカ民謡風の明るい作品まで、幅広いレパートリーを発表し、バランシンが打ち立てた革新の精神を体現しています。 -
新世代への影響
バランシンの厳格な指導法や独自の美学は、多くの現代バレエ振付家やダンサーに影響を与え、彼の理念は世界中のバレエスクールや公演で今なお受け継がれています。 -
国際的評価
「ジョージ・バランシンはただの振付家ではなく、バレエの可能性を根底から再定義した芸術家」と称され、彼の作品や指導法が今後も国際的なバレエの進化に寄与することが期待されています。バランシン財団の活動も、これらの評価を裏付けるものであり、彼の革新的な振付や教育理念を世界中に広めるための重要な役割を果たしています。
バランシンをより深く知りたい方へ
ジョージ・バランシンに関する書籍は数多く出版されていますが、出版から年月が経過しているため、現在では廃盤となっているものも多く、入手が難しい場合があります。
バランシンについての本です。
チャイコフスキーについて語るバランシンの本です。バランシンの音楽的な知性の高さを感じられる本です。
バランシンは歴史上の人物でありながら、1980年代まで現役として活躍していたため、彼自身のインタビューや、共に働いた仲間たちの著作など、貴重な資料が多数残っています。
今回は、「ジョージ・バランシン」についてお届けしました。
バレエ作品に関してはこちらにまとめています。ぜひご覧ください。
舞台鑑賞好きの僕が劇場に行くときに知っておくとちょっと得する話をのせています。バレエを中心に紹介しています。