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マリウス・プティパとは?
バレエの歴史を変えた?
どんな特徴がある?

バレエの公演に行くと、ほぼ確実に「マリウス・プティパ」の名前を聞くと思います。

フランス生まれのプティパですが、ロシアでバレエを発展させました。ちなみに、ほぼすべての古典作品にプティパの手が加えられています。

記事を書いているのは…

元劇団四季、テーマパークダンサー。舞台、特にバレエを観に行くのが大好きで、年間100公演観に行った記録があります。

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kazu

今回は「マリウス・プティパ」の紹介です。

※3分ほどで読み終わる記事です。

マリウス・プティパとは?バレエからセリフをなくした偉大な振付家

「ブリタニカ」より

マリウス・プティパ(Marius Petipa)

バレエはイタリアで誕生し、フランスで発展していきました。しかし19世紀後半、フランス・バレエは衰退していってしまいます。

そのフランスに生まれながらロシアに渡り、バレエを完成させたのがマリウス・プティパです。

経歴

1818年(諸説あり):フランスのマルセイユ生まれ(父、兄がダンサー、母が女優)
1831年:ベルギーのブリュッセルで舞踊手として初舞台(父のカンパニー)

その後、舞踊手としてフランス、北米、スペインなどで活躍

1847年:ペテルブルクにあるペテルブルク帝室バレエ団(現マリインスキー・バレエ団)にプリンシパルとして招かれる
1862年:メートル・ド・バレエ(バレエ教師)に
1870年:サン=レオンのあとをつぎ、ペテルブルク帝室バレエ団(現マリインスキー・バレエ団)の首席振付家に就任

1903年:退官
1910年:死去

プティパは50年近くマリインスキー・バレエ団で活躍し、90近くの作品を制作。現在まで残っている作品もあります。

プティパの作品一覧についてはこちらをどうぞ。

フランス・バレエが衰退した原因

バレエは流行を取り入れて発展していきました。19世紀のフランスは、ロマン主義が広がっていました。

このロマン主義をもとにロマンティック・バレエ(妖精が登場する幻想的なバレエ)が流行します。しかし、ロマン主義が衰退し、写実主義に移行していきます。この移行にフランス・バレエはついていくことができず、バレエ自体が演じられなくなってしまいます。こうしてフランス・バレエが衰退していってしまいました。

現在はパリ・オペラ座バレエ団は世界三大バレエ団のひとつです。フランスでバレエが衰退している頃、バレエがロシアに渡り芸術として進化します。そのロシアから逆輸入される形で20世紀、再度フランスのバレエがはな開きます。そしてロシアと違った形で進化していきます。

現在のバレエは、マリウス・プティパがいた時代のロシアがはじまりとなっています。そのためマリウス・プティパは「バレエの父」と呼ばれます。

プティパの功績はたくさんありますが、今回は3点ご紹介します。

プティパの功績

・踊りのみに
・バレエ公演の型を作った
・バレエ音楽が1流に

セリフの排除

マリウス・プティパ以前、バレエ作品にはセリフがありました。

プティパはバレエ作品からセリフをなくします。

しかし、踊りだけでは内容が伝わらないことがあります。バレエ鑑賞初心者が解説を見なくても内容が理解できるよう、物語を進行させる場面ではマイムを用いています。

マイム

パントマイムのことで、動きだけで感情を表すことです。物語を進行する上で、どうしても踊りで表現できない部分をマイムで代用していきます。

現在、イギリス系統はマイムで表現されることが多くなっています。一方、ロシア系統はマイムを極力少なくしている場合が多いです。例えば「白鳥の湖」のオデットとジークフリート王子が湖畔で出会うシーン。オデットが王子に「なぜ白鳥になってしまったのか、どうしたら呪いが解けるのか」を説明するシーンです。

ロシア版

踊りで表現します。

ボリショイ・バレエ団、エフゲーニャ・オブラスツォーワとセミューン・チュージン。

イギリス版

マイムで表現していきます。


英国ロイヤル・バレエ団、ナターリヤ・オシポワ、マシュー・ゴールディング。

バレエの型

古典バレエの作品を観に行くとあることに気づきます。それは流れが似ていることです。慣れてくると次にどんなシーンがくるか予測がつくようになると思います。

この流れを意図的につくったのがプティパです。そのとき「バレエ・ダクシオン」という方法論を確立します。

バレエ・ダクシオン

バレエを演劇的な筋で構成する方法で、見せ場がわかるようになっている。踊りそのものの美しさを追求する過程で生まれた。

プティパが活躍しはじめた頃から、ダンサーの技術が飛躍的に向上しはじめます。女性ダンサーがトウ・シューズ(ポワント)で踊るようになってから時間がたち、テクニックに優れたダンサーが増えてきます。

物語に重点を置きすぎると、ダンサーのテクニックを披露する機会がなくなってしまいます。プティパは純粋にダンスを楽しむシーンを効果的にストーリーの中に挿入していきます。

とくに古典作品では「ディベルティスマン(ストーリーと関係ない踊り)」「グラン・パ・ド・ドゥ」「キャラクター・ダンス(民族舞踊)」「コール・ド・バレエ(大勢の踊り)でのバレエ・ブラン(幻想的な群舞)」の場面が挿入されています。

グラン・パ・ド・ドゥ

男女の踊り:ゆるやかな曲で女性が男性にサポートされ優雅なラインを魅せる「アダージョ」
⇒男性の踊り:高いジャンプ、回転技が光る「男性のヴァリエーション」
⇒女性の踊り:細かい足さばき、軽やかでしなやかな「女性のヴァリエーション」
⇒男女の踊り:男性が舞台をジャンプで一周するマネージュ、女性の32回転のフェッテといった「コーダ」

プティパは「ドン・キホーテ」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」などの作品をたくさん振り付けていますが、「白鳥の湖」「ジゼル」などの改訂もおこなっています。

現在、プティパの型にとらわれずにストーリーを伝える「物語バレエ」が登場しています。とはいえ、プティパの型が基本であり、一番見やすい形として現在も脈々と受け継がれています。

また、プティパの作品は豪華です。この時代、ロシア皇帝から庇護ひご(援助と守り)を受けていたことで、皇帝を招待するに足る豪華なバレエをつくり続けました。

音楽の発展

プティパ以前のバレエ作品で現在まで残っている作品は極めて少ないです。現在残っているバレエ作品のほとんどが1850年以降となっています。

これにはバレエ音楽が大きく関係しています。19世紀、バレエの作曲者は2流といわれていました。というのも、振付・スターダンサーの意向によって曲を改定することこそが、プロフェッショナルなバレエ作曲家の仕事でした。そのため、1850年以前の作品のバレエ音楽は評価が低く、多くの作品が失われてしまいました。

この流れに変化が起きたのが1890年です。この年、プティパがチャイコフスキーと「眠れる森の美女」を制作します。

とはいえ、プティパはこのときもチャイコフスキーにテンポ、曲想について細く指示を与えています。ですが、チャイコフスキーはすでに作曲家として成功していたこともあり、プティパの言われるままになっているわけではありませんでした。

チャイコフスキーは「眠れる森の美女」をただの踊りの伴奏としてではなく、交響曲としてオーケストラだけのコンサートを開けるような曲にしたい、という意思を持っていました。

最初は観客もとまどったようで、「眠れる森の美女」の音楽はバレエに不適当、という評価があったと記録されています。

作曲家として成功していたチャイコフスキーがバレエ音楽を担当することで、バレエ音楽の仕事が1流と認められるようになります。チャイコフスキーのバレエ音楽で一番評価が高いのは「眠れる森の美女」です。振付師と作曲家が真に共同で作業できたことが大きな要因とされています。

現在では、振付家と作曲家の立ち位置は真逆になりました。バレエはすでにある音楽に振り付けることがほとんどで、作品のためにテンポや曲想を指定する作品はかなり少なくなっています。

「白鳥の湖」

現在残っている「白鳥の湖」は1895年プティパ・イワーノフ版がもとになっています。しかし、オリジナルは1877年でした。このとき上演は成功しませんでした。

原因としていわれているのが、チャイコフスキーの曲を振付家が十分に表現できなかったことです。それにより観客の支持を得ることができませんでした。

チャイコフスキーの逝去した1894年、メモリアル・コンサートの中でレフ・イワーノフが「白鳥の湖」の1部分に振付します。この公演が成功し、1895年プティパとイワーノフで共作し、チャイコフスキーの音楽の曲順を入れ替え上演し、大成功をおさめます。

オススメ作品

プティパに関する書籍はたくさんあります。

DVDによるドキュメンタリーです。とても見やすくコンパクトにまとまっています。

こちらは本です。

kazu

今回は「マリウス・プティパ」のご紹介でした。 ぜひぜひチェックしてみてください。
ありがとうございました。

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