- ジャズダンスとタップダンスの、切っても切れない深い「血縁関係」について
- 世界を虜にした「チャールストン」と、ジャズダンスにつながる新たなステップと動きとは
- 伝統的なシンフォニックジャズと、荒々しいホットジャズとは
前回は、「ジャズミュージックに合わせて踊るダンスこそがジャズダンスである」という本題を紹介しました。

1920年代の大衆文化の爆発(狂騒の20年代)とともに、ジャズダンスの表現の幅が一気に広がりを見せ始めます。
今回は、その激動期の幕開けである「1920年代前半のジャズダンスの歴史」へタイムスリップしていきましょう。主役となるのは、ストリートの熱気から生まれた「タップダンスの細分化」と、世界を揺るがした「チャールストン革命」です。
元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は25年以上です。実体験とリサーチをもとに、今なおジャズダンスの奥深さを学び、発信中。
※ 3分ほどで読み終わります。自身の実体験とリサーチに基づいた内容です。
1920年代前半:ジャズダンスの進化の流れ
今回は、1920年代から始まるジャズダンスの爆発的な進化の全貌を見ていきましょう。
1920年代に突入すると、ジャズダンスの表現やジャンルは一気に、そして凄まじいスピードで細分化していきます。情報が濃く、ドラマチックに変化していくため、ここからは時代をさらに細かく区切ってディープに紐解いていきます。
まずは、1917年のジャズの誕生から1930年代の黄金期へ向かって、音楽・ダンス・映画のエンタメがどのように繋がり、進化していったのか。その全貌を1枚に凝縮した相関図を独自に作りました。

タップダンスの発展:リズムの複雑化と古典の確立
タップ(tap)は英語で「かるく叩く」という意味があります。1920年代に入るとタップダンスのリズムは格段に複雑になり、「軽い」どころの話ではなくなっていきます。この時代、タップダンスの基本である「タイムステップ」をはじめとする古典的なテクニックが次々と確立されていきました。
タップダンスのルーツ
1840年代のニューヨークで誕生します。アフリカンダンスの足を踏み鳴らすリズムと、アイルランドの伝統舞踊であるジッグダンス(アイリッシュダンス)が融合し、長い年月をかけて進化したものです。
フラッシュアクトとクラスアクト:2つの流派への細分化
1920年代、タップダンスはエンターテインメントとして洗練されていく中で、大きく「2つのスタイル」へ枝分かれしてました。
⚡ フラッシュアクト Flash Act
✨ クラスアクト Class Act
フラッシュアクト(Flash Act)
いかに速く、アクロバティックなステップを踏むかを追求するスタイルです。フラッシュとはカメラのフラッシュのように瞬間の光、アクトとは振付・演目を指します。これが、のちのストリートタップにつながります。
フラッシュアクトの代表として、ベリー兄弟やニコラス兄弟が有名です。彼らがハリウッド映画のスクリーンで世界中を震撼させ、その地位を不動のものにするのは少し先の1930年代以降になりますが、その超絶技法のルーツはこの1920年代のストリートにあります。
こちらはニコラス兄弟の素晴らしいパフォーマンスです。
クラスアクト(Class Act)
正確さ、気品、そしてポーズや形の美しさを追求するスタイルです。クラスとは階級・洗練のことです。このクラスアクトが、ミュージカルなど劇場や映画で踊られるシアタータップへと繋がります。
クラスアクトの先駆者は、のちに大スターとなるフレッド・アステアと、その実のお姉さんであるアーデル・アステアです。タップは一緒に踊っている人とリズムを完璧に合わせるのがおそろしく難しいのですが、彼らは姉弟という強みを活かし、息の合った家族デュオとしてブロードウェイの舞台で人気を誇りました。
※こちらはのちの1936年に公開された映画『有頂天時代』です。ハリウッドへ渡ったフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが、クラスアクトの美しさを見せる名シーンです。
ちなみに、フラッシュアクトからキャリアをスタートし、のちにチャールズ・アトキンスと組んで至高のエレガントなクラスアクトを追求していくことになるホニ・コールズをはじめ、当時のニューヨークのハーレム地区のタップダンサーたちは、上達のコツについてこのような言葉を残しています。
「膝をいかに上げるかが踊りのカギである」
この膝への意識、そして足の引き上げは、ダンスのキレを磨く上で大きなヒントになると思います。
ハーレムに集結したジャズカルチャーの3大聖地
当時のハーレム地区には、このフッファーズ・クラブを中心に、ジャズの歴史に欠かせない重要スポットがエリアにひしめき合っていました。

- フッファーズ・クラブ(
The Hoofers Club):地味な建物でありながら、世界一のタップダンサーたちが腕を磨き合った「ストリートの実験場」。 - コットン・クラブ(
The Cotton Club):フッファーズ・クラブのすぐ近く(142丁目)にあった高級ナイトクラブ。デューク・エリントンらのジャズ演奏にのせて、選ばれた一流の黒人ダンサーたちが華やかなショーを繰り広げ、白人の富裕層を熱狂させました。 - サヴォイ・ボールルーム(
The Savoy Ballroom):少し東側(140〜141丁目のレノックス・アベニュー)に位置した、人種の壁を破る巨大なダンスホール。1920年代後半から30年代にかけて、アクロバティックな「リンディホップ」や「スイングダンス」が大爆発する、ストリートダンサーたちの憧れの聖地です。
このように、ハーレムという街全体が「ジャズの音楽とダンス」を24時間体制で産み出し続ける巨大なエネルギーに満ちあふれていました。
タップの中心地:聖地「フッファーズ・クラブ」の熱気
このように多くのスターや名言が生まれた背景には、ダンサーたちが夜な夜な集まる「聖地」の存在がありました。
1920年代からおよそ30年間、ニューヨークのハーレム地区がタップダンスの中心地になります。その心臓部となったのが、伝説の場所「フッファーズ・クラブ(The Hoofers Club)」でした。
このクラブの管理人であり、自身もジャズピアニストであったロンリー・ヒックス(Lonnie Hicks)は、タップダンスを練習したいダンサーたちのために、いつでも無料でクラブを自主練の場として開放していました(裏では賭博なども行われていた、泥臭いストリートの社交場です)。
当時のダンサーたちは、ここで難しいステップをお互いに見せ合い、技を盗み、教え合っていました。ここで磨き上げられた最先端のステップや高度なテクニックは、ダンサーたちの口づてや、彼らが出演する巡業舞台(ボードビル・ショー)を通じて地方へと伝わっていきました。
このフッファーズ・クラブというストリートの切磋琢磨があったからこそ、新しいステップが次々と誕生する源泉となり、ニューヨークから全米へと波及していく土台となりました。
ビル・「 ボージャングル 」・ロビンソン:タップ界の神様
1920年代のタップダンス、そしてジャズダンス全体の歴史を語る上で外せない伝説のダンサーがいます。
それが、ビル・“ボージャングル”・ロビンソン(Bill "Bojangles" Robinson / 1878年–1949年)です。
「ボージャングル」の愛称で親しまれた彼は、モダン・タップダンスの基礎を作った人物であり、タップ界では今なお「神様」と呼ばれています。
彼が残した最大の功績の一つが、それまで足の裏全体でベタベタと平らに踏んでいたタップに対し、つま先を巧みに使う「トウ・タップ」を踏んでみせたことでした。これにより、タップの音が軽快でクリアなものへと進化します。
当時の悲しい時代背景として、黒人のパフォーマーは白人のお客さんの前で道化を演じ、表情を誇張するようなメイクをしなければ舞台に立てないという歴史がありました。そんな過酷な環境の中、それまで上半身をほとんど動かさないことが多かったタップダンスに、ボージャングルは「上半身のしなやかさと柔らかいリズム感」をプラスします。彼によって、ジャズダンス特有の豊かな上半身の動きがタップに取り入れられ、芸術として飛躍的に進化を遂げました。
ボージャングルはブロードウェイの舞台だけでなく、アメリカ全土のツアー公演を大成功させ、のちの1930年代には天才子役として知られるシャーリー・テンプルとハリウッド映画で世紀の共演を果たすことになります。
シャーリー・テンプル
(1928–2014)
「テンプルちゃん」の愛称で世界中から親しまれたハリウッドの伝説的な天才子役。ノンアルコールカクテルの「シャーリー・テンプル」は、彼女が幼少期にホテルを訪れた際、バーテンダーが彼女にちなんで考案したことで知られています。
1930〜60年代にハリウッド映画界のトップ女優として一世を風靡。芸能界を引退したのち、40代から政治の世界へ転身し、アメリカの外交官(大使)や数社の大企業の重役などを歴任し、ビジネスパーソンとしても大成功を収めました。
この映像は、1935年に公開された映画『The Littlest Rebel(邦題:ちっちゃな外交官)』の一幕です。南北戦争時代を舞台にした作品で、ボージャングルは奴隷の身分でありながらテンプルちゃん演じる主人公を優しく見守る役を演じました。
この映画の中で2人が魅せる階段を使ったタップダンスや、お互いのステップを真似し合うコミカルな掛け合いは、ハリウッド映画史における「偉大なダンスシーンの一つ」として語り継がれています。
当時のアメリカは人種差別が非常に激しく、白人のスターと黒人のダンサーがスクリーンの中で対等に手を取り合い、笑顔でステップを踏み鳴らすということ自体、革命的な出来事でした。
ボージャングルの素晴らしいパフォーマンスは、こちらの名作映画でも見ることができます。
1人の天才のおかげで、タップダンスの魅力は人種の壁を超え、アメリカ中に広まっていきました。
チャールストンの登場:ダンス界の「地殻変動」
1923年、ジャズダンスの歴史に影響するダンスが登場します。それが「チャールストン(Charleston)」です。
サウスカロライナ州チャールストン市が発祥のため「チャールストン」と名づけられました。1923年、黒人によるブロードウェイ・レビュー劇『Runnin’ Wild』の劇中歌『Charleston』(ジェームス・P・ジョンソン作曲)で最初に踊られ、またたく間に世界中へ大流行した。
アフリカンダンスの直系
チャールストンは、アフリカンダンスの遺伝子をダイレクトに引き継いだ直系のダンスと言えます。それまでの西洋の伝統的なダンスではあり得なかった、「上半身と下半身を別々に、バラバラに動かす動き(アイソレーション)」が、歴史上初めて社交ダンス(ペアダンス)のメインストリームに取り入れられました。
上半身は野生的に手をたたき、下半身は床にむかって激しく踏み鳴らす。これはまさに、アフリカの伝統的な大地の踊りそのものです。
この映像を見ると、現代のストリートダンスやヒップホップに使われているステップの原型が、すでに100年前に登場していることがわかります。これが本来のチャールストンです。
しかし、このオリジナルのチャールストンはかなりアクロバティックで高い身体能力が必要だったため、一般の人々が気軽にマネすることのできないレベルになってしまいます。そこで、一般大衆がフロアで気軽に踊れるよう、少しずつ動きがスケールダウン(簡略化)されていきました。
- チャールストンの定義: 両ヒザをつけたまま、つま先を交互に内側・外側へと跳ね上げるステップの踊り。
誰もが踊れるチャールストン:1920年代前半の周辺ステップ
このチャールストンの爆発的な流行に連動するように、1920年代前半のフロアには他にも強烈なステップやダンスが次々と産声を上げていました。その代表例がこちらです。
- シミー(
Shimmy):肩や胸を前後交互に揺らす動き。1910年代末から20年代前半にかけて流行し、現在のジャズダンスレッスンでも必ず行う「胸や肩のアイソレーション(シェイク)」の直接のルーツとなりました。
- ニークロス(
Knee Cross):両手を交互に膝の上で交差させ、膝を開閉するトリッキーな動き。チャールストンを象徴するコミカルで軽快な動きです。
- ブラック・ボトム(
Black Bottom):チャールストンとほぼ同時期の1920年代前半から南部より広まり始めたアフリカ系アメリカ人由来のダンス。ネットで当時の映像を検索すると、踊り方がバラバラで驚くかもしれません。それもそのはず、当時は決まったステップのルールがなく、ダンサーたちが即興で自由に踊っていたからです。共通しているのは「お尻を叩くコミカルさ」と「骨盤をルーズにうねらせる動き」。このダンスが流行したことで、ジャズダンスに「腰を回す(ボディ・ロール)」という重要なテクニックが定着しました。
チャールストンが現代の「ジャズダンス」に与えた3大影響
チャールストンの登場は、現在のジャズダンスやステージダンスの基礎を形作る上で大きな影響を与えました。
1:重心の低さ(ダウンビート)
西洋のバレエなどが「上へ、上へ」と重力に逆らう美学を持つのに対し、チャールストンは「膝を曲げ、エネルギーを下に叩きつける」というアフリカ由来の低い重心の美学を一般化させました。ジャズダンスを踊る上で重要な「床を踏み込むダウンのコントロール」の根底は、このチャールストンが世に広めたものです。
2:アイソレーション(身体の独立可動)
首、肩、胸、骨盤をそれぞれ独立してコントロールする「アイソレーション」は、ダンスのキレを生み出す基礎です。チャールストンが「上半身をルーズに揺らしながら、足元は超高速のステップを踏む」という動きを見せたことで、ジャズダンスの表現は一気に立体的なものへと進化しました。
3:ストリートから大衆のファッショントレンドへ
チャールストンはダンスの枠を超え、当時のファッション(フラッパー・スタイル)の名前にもなりました。
ファッションのチャールストンは、袖がなく、上からストンとした作りのドレスでウエストを絞らず、ローウエストで切り替えをしています。激しいチャールストンのステップ(キック)を踏んだときに裾が美しく揺れ、ダンサーの脚のラインが綺麗に見せるよう計算されています。
そして、チャールストンは形を変えながら、ハウスダンスやシャッフルダンス、スイングなど、現代のダンスシーンでも脈々と踊り継がれています。
1920年代のフロアを鳴らした「2つのジャズサウンド」
アメリカ全土へジャズダンスが広がっていくのと完全にシンクロする形で、その伴奏となる「ジャズミュージック」自体も、大きく2つのスタイルに発展します。
① シンフォニックジャズ(Symphonic Jazz)
オーケストラがジャズを演奏する「シンフォニックジャズ」が、1924年の名曲誕生を皮切りに、1920年代を通じて大流行します。
代表的な曲は、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)作曲の『ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in Blue)』。この曲を委嘱(いしょく)し、初めて指揮を振ったポール・ホワイトマン(Paul Whiteman)は「キング・オブ・ジャズ」として知られます。
日本においてこの『ラプソディ・イン・ブルー』はもともと有名だったものの、ドラマ『のだめカンタービレ』のエンディング曲や劇中曲として使用されたことで、クラシックファン以外にも広く有名になりました。
5,000円ほど。
25,000円ほど。
このシンフォニックジャズが登場したことで、ジャズは「怪しいストリートの音楽」から「高級な社交場やブロードウェイの劇場で楽しめる洗練された舞台芸術」へと格上げされます。これにより、ジャズミュージックとジャズダンスがセットになった、華やかなショービジネスが次々と誕生していくことになります。
「シンコペーション」がもたらしたダンスの表現力
ジャズミュージックの核心にあるのが「シンコペーション(Syncopation)」です。
この独特の「タメ」や「ノリ」こそが、ジャズのグルーヴを生み出しています。
ダンスもまったく同じです。カウント通りにきっちり動くだけでなく、あえて音を外したり、タメを作ったりすることで、ダンサー個人の個性が引き立ち、格段にオシャレになります。このほんのちょっとしたリズムの遊びによって、ジャズダンスの表現の幅が驚くほど広がりました。
貴重な歴史的映像の解説:1930年公開『キング・オブ・ジャズ』
1924年に誕生した『ラプソディ・イン・ブルー』の貴重なパフォーマンスを、こちらの映像で観ることができます。
冒頭に登場するのが、指揮者のポール・ホワイトマン本人です。彼は「アフリカンミュージックにおけるブードゥーのドラム音(野性的なビート)を取り入れたことで、ジャズミュージックという新しい芸術が生まれた」と熱く語っています。
この映画は、ハリウッドの歴史において「初めて演奏(音楽)と映像の別撮り(アフレコ技術)が行われた」というアイディア作品です。もとのモノクロ映像に美しく着色(カラー化)された映像からは、当時のスタッフの凄まじいこだわりが伝わってきます。
おそろしく大掛かりで豪華なセットの中、よく見るとトウシューズを履いたクラシックバレエのダンサーたちも登場しています。まさに、ジャズと伝統的な舞台芸術が融合し始めた瞬間を捉えた、歴史的な資料です。
② ホットジャズ(Hot Jazz)
シンフォニックジャズの上品で洗練されたオーケストラサウンドとは対照的に、黒人ダンサーたちが夜な夜な集まるハーレムのナイトクラブなどで鳴り響いていたのが、即興演奏(アドリブ)全開の熱く野性的な「ホットジャズ」です。
当時としてはテンポが速く、前述したシンコペーション(リズムのうねり)が特徴です。1923年に大流行した「チャールストン」や、お尻を叩く「ブラック・ボトム」といった、身体能力を使うアクロバティックでキレのあるストリートダンスは、このホットジャズのスピード感とエネルギーによって産み出されました。
映像『A Bundle of Blues』(1933年)にみる野性的なグルーヴ
こちらは1933年に公開された短編映画『A Bundle of Blues(ブルースの詰め合わせ)』の一幕です。演奏しているのは、ハーレムの伝説的ナイトクラブ「コットン・クラブ」の専属楽団としても絶大な人気を誇った大巨匠、デューク・エリントン(Duke Ellington)のオーケストラです。
トランペットが咆哮(ほうこう)し、リズムが激しくシンコペーションするこの「ホットジャズ」の猛烈なエネルギーにのせて、フローレンス・ヒル(Florence Hill)とベッシー・ダドリー(Bessie Dudley)の2人の黒人ダンサーが、即興ダンスを披露しています。
よく観ると、彼女たちの動きには、肩を激しく震わせる「シミー」や、骨盤をルーズにうねらせる「ブラック・ボトム」の野性味あふれるアイソレーションの技術が入っています。
シンフォニックジャズのような洗練された劇場用のダンスとは180°違う、大地のエネルギーを床に叩きつけるような「ローセンター(低い重心)」でストリートのノリ。これこそが、のちのジャズダンスや現代のヒップホップにまで脈々と受け継がれていく、ジャズダンス本来の爆発的なエネルギーの源泉です。
さらに深く学びたい人へ:おすすめの参考文献・書籍
ジャズダンスの歴史をさらに深掘りしたい方にオススメの書籍を紹介します。
1:歴史をさらに深く知るなら
『世界史はジャズで踊る』(文春新書 1527)
- 著者:村井 康司
- 出版社:文藝春秋
- こんな人にオススメ:ジャズ音楽の起源、アメリカ芸能史、黒人文化のドラマを立体的に学びたい方
- プロの視点:抑圧された歴史の中から生まれたジャズが、どのように世界を熱狂させていったのかが描かれています。この記事でご紹介したように、1917年のジャズ誕生にいたるまで、ジャズミュージックとジャズダンスは全く同じ歴史をたどるため、あなたの知的好奇心を強く刺激してくれる一冊です。
1,500円ほど。
2:「身体表現」を自分の肉体に落とし込むなら
『ダンス解剖学 第2版』(新スポーツ解剖学シリーズ)
- 著者:ジャッキー・グリーン・ハース
- 訳者:水村 真由美
- 出版社:ベースボール・マガジン社
- こんな人にオススメ:ダンサー、ダンスインストラクター、怪我をしない身体の正しい使い方を追求したい方
- プロの視点:アフリカンダンスのルーツである「低い重心(ダウン)」や、ジャズダンスに不可欠な「アイソレーション(身体の各部の独立運動)」を正しく体現するには、骨格や筋肉の構造をロジカルに理解することが不可欠です。イラストでダンサーの身体のメカニズムを網羅しています。
3,000円ほど。
1920年代前半のまとめ(次回予告)
ジャズの誕生とともに、新たな大衆文化の扉を開けた1920年代前半のジャズダンス。自由を求めた人々によってステップの基礎が築かれ、ダンスは劇場からストリート、そして生活の一部へと浸透していきました。
次回の記事では、狂騒の時代を迎える「1920年代後半:ダンス狂時代の到来と技術の進化」の解説です。ハーレムの熱気から生まれた伝説のペアダンス「リンディホップ」の誕生や、ストリートのステップが洗練されたエンターテインメント技術へと一気に跳ね上がる、ジャズダンスの転換期を紐解いていきましょう。
ジャズダンスの歴史の記事一覧は、こちらの目次ページをご覧ください。


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