- 南部のニューオーリンズの悲劇が生んだ、クラシックの知性とアフリカの魂の融合とは
- 日本舞踊の美学も吸収してアメリカで花開いたモダンダンスとは
- 世界初ジャズレコードの発売。なぜジャズダンスと呼ぶようになったのか。その歴史と定義の難しさ。
前回、1900年を迎えるまでのジャズダンスの歴史を紐解き、真のルーツはアフリカにあるという歴史の背景を紹介しました。

今回のテーマは、1900年代〜1910年代。
1900年代に南部ニューオーリンズの地で「ジャズミュージック」が劇的な進化を遂げ、それと完全にシンクロする形で、1917年にいよいよ「ジャズダンス(Jazz Dance)」という言葉と定義がこの世界に正式に誕生します。
アメリカのストリートダンス、ヨーロッパのモダンダンス、そして東洋・日本の伝統。これらすべてのエネルギーが合流し、一つの文化として爆発した、20年間を解説していきます。
元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は25年以上です。実体験とリサーチをもとに、今なおジャズダンスの奥深さを学び、発信中。
※ 3分ほどで読み終わります。自身の実体験とリサーチに基づいた内容です。
1900年代:劇場文化の成熟と、南部に響き渡る「ジャズミュージック」の産声
まずは、今回の歴史の全体像が一目でわかる「タイムライン」です。

1900年代、「ジッグダンス」や「ソフトシューダンス」は、ボードビル・ショーの流行とともに、全米の劇場でさらなる進化を遂げていました。
歌、踊り、手品、漫才、アクロバットなどを詰め込んだノンストップのバラエティ舞台。当時のアメリカにおけるエンターテインメントの中心となり、ダンサーたちには「新しく観客を熱狂させる、オシャレなリズムとステップ」が求められていました。
そんな劇場の熱気に呼応するように、アメリカ南部から新しい音楽が誕生します。
現代に繋がる音楽の源流「ラグタイム」と「ディキシーランド・ジャズ」
舞台芸術の聖地がニューヨークなら、新しい音楽の実験場となったのは、南部ルイジアナ州の港町「ニューオーリンズ(New Orleans)」でした。この地で、ジャズの直接のルーツとなる2つの革新的な音楽ジャンルが登場します。
ラグタイム(Ragtime)
19世紀末から1900年代にかけて大流行した、黒人音楽に強い影響を受けたピアノ音楽ジャンルです。
最大の特徴は、「シンコペーション」(規則正しいリズム進行からあえて拍をずらし、特定の音を強調する技法)です。この「リズムをわざと外して遊ぶ」というオシャレな感覚が、当時のダンサーたちを刺激しました。
ディキシーランド・ジャズ(Dixieland Jazz)
ニューオーリンズで発展した、ブラスバンド(管楽器)の即興演奏をベースとする初期のジャズ音楽です。
「ディキシー(Dixie)」とはアメリカ南部を指す言葉です。黒人たちの演奏を「ニューオーリンズ・ジャズ」、白人たちがそれを模して演奏したものを「ディキシーランド・ジャズ」と区別することもありますが、いずれも即興が生み出すエネルギーに満ち溢れていました。
当時のスペルは「Jazz」ではなく「Jass」だった
今でこそ誰もが知る「Jazz」という言葉ですが、1900年代の生まれたばかりの時点では、まだこの「Jazz」というスペルは存在していませんでした。
当時は、南部のスラング(俗語)に由来する「Jass」という文字が使われており、どこか怪しげでした。だからこそ若者たちを強烈に惹きつけるエネルギーを持った音楽として、ストリートや酒場に響き渡っていたとも言えます。
1900年頃〜:ヨーロッパでの「モダンダンス」誕生・イサドラ・ダンカンの革命
アメリカ国内で黒人文化と劇場文化が混ざり合っていたその頃、ヨーロッパでもダンスの歴史をひっくり返すもう一つの革命が起きていました。
「モダンダンス(Modern Dance)」の誕生です。
その中心にいたのが、アメリカのサンフランシスコ出身の女性ダンサー、イサドラ・ダンカンです。1900年頃にヨーロッパへ渡り、ダンス界を支配していた「クラシックバレエ」対して、反旗を翻します。
裸足で踊る「自由」
当時のバレエは、硬いトウシューズを履き、決められた厳格な「型(様式美)」に従って踊るのが絶対のルールでした。
イサドラ・ダンカンは「不自然で、人間の魂を縛り付ける」と激しく否定します。そして、ギリシャ風の柔らかなチュニック(薄手のドレス)一枚を身にまとい、「裸足」で舞台に立ちました。
重力に逆らうことを目指すバレエに対し、イサドラ・ダンカンは重力を自然に受け入れ、人間の内面から湧き出る感情や、波・風といった自然のインスピレーションをそのまま身体で表現する「自由な舞踊」を始めます。
この前代未聞のパフォーマンスは、当時のヨーロッパの芸術界に衝撃を与え、現在のモダンダンスの祖として語り継がれることになります。
カメラ嫌いの天才が遺した「唯一の奇跡」
ダンスの歴史に変革を起こし、数々の振付師に影響を与えたイサドラですが、実は大のカメラ嫌い(映画という新しいメディアへの嫌悪感)としても有名でした。
そのため、現在の僕たちに伝わっている動く映像は、屋外で偶然隠し撮りされたわずか1本(1分に満たない長さ)の不鮮明なフィルムしか残されていません。
なぜイサドラ・ダンカンのスタイルは「消えてしまった」のか?
イサドラ・ダンカンの踊りは、観客の魂を揺さぶるものでした。ですが、彼女のダンススタイルそのものは残っていません。
なぜなら、イサドラ・ダンカンの踊りは「天才的なインスピレーション」と即興に頼ったもので、明確なメソッド(方法論・体系的な基礎)として言語化・ルール化されていなかったためです。
そのため、彼女の死後、その自由で感覚的なスタイルをトレースして再現できる人間がいなくなってしまいました。
それでも、ジャズダンスに遺した大いなる遺伝子
ですが、イサドラ・ダンカンの精神は、形を変えてジャズダンスの遺伝子へ深く組み込まれていくことになります。
彼女が証明した「様式美の型を壊し、人間の内面の感情をむき出しにして自由に踊る」というアプローチそのものが、後のモダンパフォーマーたちを経て、表現力豊かなステージダンス(ジャズダンス)の土台を支える重要な哲学となりました。
1910年代:全米への拡散とアニマル・ステップ
1910年代に入ると、南部ニューオーリンズの限られた地域で踊られていたジャズミュージックとダンスは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)とともに、アメリカ全土へとゆっくり、しかし確実に浸透し始めます。
この拡散の最大の原動力となったのが、歴史上「大移動(グレート・マイグレーション)」と呼ばれるアフリカ系アメリカ人たちの民族移動です。
当時、北部の都市部では産業革命による劇的な工業化が進んでおり、南部の過酷な人種差別や貧困から逃れるように、多くの黒人たちがシカゴやニューヨークといった北部の巨大都市へと移住しました。黒人たちが手荷物と一緒に持ち込んだものこそが、南部のソウルが詰まった独自の音楽とダンスだったのです。
さらに、この時代に急速に普及した「レコード(蓄音機)」という新しいテクノロジーが、楽譜だけでは伝わらない生々しいジャズのリズムを全米の家庭へと届ける強力な後押しとなりました。
フォックストロットの誕生:ストリートから社交ダンスへの系譜
この時期、ストリートやダンスホールで生まれた黒人ステップを、白人社会が取り入れて「洗練された社交ダンス」に変換する動きが加速します。
その象徴が、1913年にハリー・フォックス(Harry Fox)がニューヨークのダンスホールで発表した「フォックストロット(Foxtrot)」です。
「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」より:現代の動画のためかなり洗練されています。
このステップは、前の時代に生まれたジッグダンスやソフトシューダンスの軽快な足さばきにルーツを持っており、現在でも社交ダンスの主要な一種目として世界中で踊られています。
フォックストロットだけでなく、同じく社交ダンスの定番である「タンゴ」や「ブルース」も、そのリズムの根本は黒人文化にルーツがあります。イギリスのダンス教師たちによって様式美が加えられ、洗練されたステップとして確率されていきました。
動物の動きをマネした「アニマル・ダンス」
また、1910年代のアメリカでは、動物のコミカルな動きを真似たステップが若者たちの間で流行しました。
- ターキー・トロット(七面鳥の足取り)
- グリズリー・ベア(灰色熊の動き)
- バニー・ハッグ(ウサギの抱擁)
- キャメル・ウォーク(ラクダの歩行)
これらのステップも、アフリカ系アメリカ人にルーツがあります。もともとアフリカの大地で踊られていた伝統舞踊には、自然や動物の動きを身体に憑依させて踊る特徴がありました。この野生的なエネルギーが形を変えて20世紀初頭のアメリカのポップカルチャーを巻き込みます。
モダンダンスのアメリカ逆輸入
1900年代にヨーロッパで開花したモダンダンスは、1910年代に入ると本国アメリカへ「逆輸入」の形で上陸します。
その最高峰が、1915年にルース・セント・デニスが夫のテッド・ショーンとともにロサンゼルスに設立した学校であり舞踊団、「デニショーン(Denishawn)」です。
この学校からは、のちにアメリカン・モダンダンスの女王となるマーサ・グラハムや、「シアター・ジャズダンスの父」と呼ばれるジャック・コールなど、ダンス史に名を残すダンサーたちを輩出しました。
貞奴(さだやっこ):ジャズダンスに溶け込んだ「日本舞踊」
ちなみにルース・セント・デニスは、欧米で活躍した日本初の国際派女優・川上貞奴(かわかみ さだやっこ)の舞台を観て衝撃を受けます。のちに芸者を題材にした『オミカ(O-Mika)』という日本スタイルの作品を発表するほど、東洋の静寂な表現力に魅了されていました。
のちにジャズダンスに多大な影響を与えるモダンダンス。その黎明期には、「日本舞踊の身体技法」が深いエッセンスとして吸収されていました。
ただ、当時のアメリカはまだ大衆的なエンターテインメント(ボードビルなど)が主流であり、高尚すぎるモダンダンスがすぐに観客に受け入れられたわけではありません。そのため、モダンダンスは再びヨーロッパで醸成され、1920年代後半、ようやくアメリカで本格的に広がることになります。
世界を震撼させたもう一人の天才日本人:伊藤道朗(ミチオ・イトウ)
デニショーンの東洋表現とは異なるアプローチで、アメリカのジャズダンスの発展に足跡を遺した日本人がいます。それが伊藤道朗(ミチオ・イトウ)です。
※画像はパブリックドメイン(1920年代頃に撮影された伊藤道朗のポートレート)
ミチオはヨーロッパで最先端の舞踊(リトミックなど)を修めたのち、1916年に渡米します。1918年にはニューヨークにスタジオを開設し、のちにロサンゼルスへ拠点を移しながら、マーサ・グラハムやレスター・ホートンといったアメリカのモダンダンス界の巨頭たちと肩を並べる存在となりました。
4,000人の教え子たち
第二次世界大戦の開戦によって日本への帰国を余儀なくされるまで、ミチオがアメリカ在住時にテクニックを教え込んだダンサーの数は、4,000人を超えています。そして、彼のスタジオから育った熱心な生徒たちが、のちにハリウッド映画やブロードウェイ・ミュージカルの振付師となり、ジャズダンスの黄金期を支える大きな潮流を作っていくことになります。
ミチオのダンスは、日本舞踊が持つ「無駄を削ぎ落としたシンプルな腕の軌道と直線の美」を特徴としながら、ヨーロッパのモダンダンスのダイナミックな身体の使い方が混ざり合っていました。
ジャズダンスのレッスンで何気なく行う「腕のシャープな軌道」や「空間のコントロール」の背景には、大正〜昭和初期にアメリカにわたった、天才の日本人の遺伝子が、間違いなく息づいています。
1917年:ジャズダンス誕生
ジャズミュージックとジャズダンスが、なぜアメリカの数ある都市の中から、南部ルイジアナ州の港町「ニューオーリンズ(New Orleans)」で生まれたのか。そこには、この街だけが持つあまりにも特殊な歴史のドラマがありました。
もともとニューオーリンズは、フランスやスペインの領土だった歴史から、黒人奴隷に対して他の南部地域よりも少しだけ「寛容な街」でした。その象徴が、白人と黒人のミックス(混血)である「クレオール(Creole)」と呼ばれる人々の存在です。
自由と教養を与えられたエリートたち
当時のニューオーリンズには独自の奴隷解放規定があり、白人の主人が死亡した際、妾(めかけ)だった黒人女性やその間に生まれた子どもたちは奴隷の身分から自動的に解放され、白人と同等の自由と法的権利が与えられていました。
クレオールは、白人社会で高い教育を受け、ヨーロッパのクラシック音楽や芸術、楽器の演奏法をマスターした「エリート層」として、独自の地位を築いていました。
1863年「奴隷解放」がもたらしたまさかの悲劇
しかし、1863年の南北戦争にともなう奴隷解放宣言を機に、クレオールの運命は最悪の方向へ一転します。
南部の白人たちの怒りの矛先がクレオールへと向かい、のちに「人種隔離法(ジム・クロウ法)」が制定されます。「一滴でも黒人の血が混ざっていれば、すべて黒人(最下層)とみなす」という過酷なルールのことです。
白人社会に準ずる教養を身につけていたクレオールの中には、黒人奴隷を所有する富裕層まで存在していました。彼らはフランス語を話し、ヨーロッパのクラシック音楽を愛する「洗練された階層」として強いプライドを持っており、英語を話すアフリカ系の黒人奴隷たちに対し一線を引いていました。
しかし、クレオールは一瞬にしてすべての特権を奪われ、黒人コミュニティへと強制的に追いやられてしまいました。
「楽譜が読めるエリート」と「楽譜が読めない天才」の運命の出会い
このあまりにも理不尽な地位転落という悲劇が、音楽の歴史に奇跡を起こします。
隔離された同じ街区で、「楽譜を完璧に読めるが即興ができないクレオール(ヨーロッパの知識)」と、「楽譜は読めないが、アフリカ由来の圧倒的なリズム感と即興性を持つ黒人奴隷(アフリカの魂)」が、否応なしに融合することになったのです。
彼らが手を取り合い、お互いの強みを混ぜ合わせて夜の酒場で演奏し始めたもの。
それこそが、世界を震撼させる「ジャズ」の正体でした。
1917年:歴史が動いた「Jazz」への覚醒
こうして生まれた新しい音楽とダンスは、1917年に大きなターニングポイントを迎えます。この年が、公式に「ジャズ誕生の年」と記録されています。
ニューオーリンズを拠点に活動していた白人のバンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)」が、ニューヨークで世界初となる商業用のジャズレコードを発売し、これが全米で大ヒットを記録しました。
「おしり」を連想させるスペルからの脱却
実は彼らがレコードを出すまで、この音楽は「Jass」と表記されていました。
なぜ、彼らが1917年にスペルを「Jazz」へ変更したのか。最も有力な説は、悪質ないたずら防止です。ポスターに書かれた「Jass」の頭文字「J」を誰かに消されてしまうと、「ass(おしり・バカ)」という不謹慎な意味になってしまいます。そのため、それを嫌って現在の「Jazz」へと書き換えたと言われています。
このレコードの爆発的ヒットによって「Jazz」という言葉が世界中に浸透し、同時にこの強烈なジャズミュージックに身体を委ねて踊るダンスの総称が、正式に「ジャズダンス(Jazz Dance)」と呼ばれるようになりました。
全米、そして世界へ:枝分かれしていく「定義なきダンス」の宿命
1910年代の終わりから1920年代にかけて、ニューオーリンズで誕生したジャズは、アフリカ系アメリカ人たちの移動とともにシカゴやニューヨーク、果てはヨーロッパのパリにまで猛烈なスピードで広がっていきました。

ジャズダンスの根底には、過酷な奴隷制度や人種差別の中で黒人コミュニティが命がけで守り、磨き上げてきた「アフリカのリズム」という重い歴史があります。
その後ヨーロッパでは、このエネルギッシュな動きに魅了された白人ダンサーたちが参入し、伝統的な踊りの要素と融合します。これがのちに「ユーロ・ジャズダンス」と呼ばれるようになります。
「これがジャズダンスだ」と言ったら、それが正解
この時代を起点に、ジャズダンスは世界中のあらゆるダンスジャンルを吸収し、枝分かれしていくことになります。
現代において、ジャズダンスの定義がプロでも難しいと言われる理由はここにあります。
バレエ、モダン、日舞、社交ダンス、アフリカン、あらゆるステップを飲み込んで進化しすぎたため、「これが100%のジャズダンスだ」と誰にも確定できない状態になっているのです。
だからこそ、僕はこう考えています。
あなたが「これはジャズダンスです」と魂を込められるなら、それこそがジャズダンスです。
さらに深く学びたい人へ:おすすめの参考文献・書籍
ジャズダンスの歴史をさらに深掘りしたい方にオススメの書籍を紹介します。
1:歴史をさらに深く知るなら
『世界史はジャズで踊る』(文春新書 1527)
- 著者:村井 康司
- 出版社:文藝春秋
- こんな人にオススメ:ジャズ音楽の起源、アメリカ芸能史、黒人文化のドラマを立体的に学びたい方
- プロの視点:抑圧された歴史の中から生まれたジャズが、どのように世界を熱狂させていったのかが描かれています。この記事でご紹介したように、1917年のジャズ誕生にいたるまで、ジャズミュージックとジャズダンスは全く同じ歴史をたどるため、あなたの知的好奇心を強く刺激してくれる一冊です。
1,500円ほど。
2:「身体表現」を自分の肉体に落とし込むなら
『ダンス解剖学 第2版』(新スポーツ解剖学シリーズ)
- 著者:ジャッキー・グリーン・ハース
- 訳者:水村 真由美
- 出版社:ベースボール・マガジン社
- こんな人にオススメ:ダンサー、ダンスインストラクター、怪我をしない身体の正しい使い方を追求したい方
- プロの視点:アフリカンダンスのルーツである「低い重心(ダウン)」や、ジャズダンスに不可欠な「アイソレーション(身体の各部の独立運動)」を正しく体現するには、骨格や筋肉の構造をロジカルに理解することが不可欠です。イラストでダンサーの身体のメカニズムを網羅しています。
3,000円ほど。
まとめ:定義なきダンスの歴史は、ここから加速する
1900年代から1910年代にかけての、ジャズダンス黎明期の歴史はいかがでしたでしょうか。
南部の港町ニューオーリンズで、クレオールの悲劇と黒人文化の融合によって「ジャズミュージック」という最高の相棒が生まれ、1917年のレコード爆発をきっかけに、世界へと大拡散していきました。
ジャズダンスの定義が確立された1910年代が終わり、時代はいよいよアメリカ経済が発展する「狂騒の20年代」へと突入します。
次回は、ストリートのエネルギーがさらなる進化を遂げる「ジャズダンスの歴史(1920年代前半)タップの進化・チャールストンの登場・ジャズサウンドの分化」をお届けします。

ジャズダンスの歴史の記事一覧は、こちらの目次ページをご覧ください。


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