ジャズダンスの歴史(1900年代~1910年代)ニューオーリンズで誕生
jazz

ジャズダンスが定義された?
ニューオーリンズが関係している?
ジャズミュージックに合わせたダンスがジャズダンス?

前回は1900年まで紹介し、「ジャズダンスはアフリカがルーツ」と紹介しました。

ジャズダンスの歴史(1840年代~1900年)ジッグダンス、ソフトシューダンスの発展

1900年代にジャズミュージックが発展し、1917年にジャズダンスが定義されます。

記事を書いているのは……

元劇団四季、テーマパークダンサー。出演回数は5,000回以上。ダンス歴は20年以上ですが、まだまだジャズダンスを勉強中。

kazu

今回は、「1900年代~1910年代のジャズダンスの歴史:ジャズダンスの誕生」についてです。

※ 3分ほどで読み終わります。僕が習ったことや調べたことをもとに書いていることをご了承ください。

1900年代

1900年代、「ジッグダンス」「ソフトシューダンス」がアメリカ各地で独自に発展していきます。

ジャズダンスの歴史の流れ(1900年代~1930年代のアメリカ)

スイング

ボードビルショー(踊り、歌、手品、漫才が一緒になった舞台)がエンターテイメントの中心となり、1928年には1000を超える劇場がアメリカにあったと記録されています。

中でもスイングするダンサーに人気がありました。

スイング

リズムで遊び、緩急をつけ、わざとリズムを外したりするオシャレなスタイル

1920年代ころから活躍したベリー兄弟の映像です。誕生から10年以上たっているため、さらにテクニックが進化しています。

ジャズミュージック

ニューオリンズで、「ディキシーランド・ジャズ」、テンポの速い「ラグタイム」が登場します。

ディキシーランド・ジャズ( Dixieland jazz )

ディキシーとはアメリカ南部のこと。語源は諸説あり明確ではない。ニューオリンズで発達したジャズ音楽。黒人たちのジャズをニューオリンズ・ジャズと呼んでいたのに対し、白人たちが演奏したジャズをディキシーランド・ジャズと区別することもある。

ラグタイム ( ragtime )

黒人音楽に強い影響を受けた音楽ジャンル。 ジャズのルーツのひとつであり、リズムのシンコペーション(強調。規則正しいリズム進行から外れること)に大きな特徴がある。

ちなみにこのときジャズのスペルは今の「 Jazz 」ではなく「 Jass 」でした。

モダンダンス(ヨーロッパ)

アメリカ出身のイサドラ・ダンカンが、1900年頃にヨーロッパに渡ります。バレエの様式美に否定的だったイサドラ・ダンカンは、自由な舞踊をはじめます。

こうして「モダンダンス」が誕生します。

モダンダンスの祖であるイサドラ・ダンカンは振付師やダンサーに大きな影響を与え、ダンスに変革を起こしました。

もちろんジャズダンスにも影響を与えます。

イサドラ・ダンカンは大のカメラ嫌いだったため、映像は隠し撮りされた 1本しか残っていません。それがこちら。

メソッド(方法論)がなかったため、イサドラ・ダンカンのダンススタイルは残念ながら消えてしまいました。

1910年代

ジャズミュージックと、それに合わせたダンスは第一次世界大戦( 1914年 – 1918年 )ごろまでにアメリカ全土にゆっくり浸透していきます。

特に、南部にいたアフリカ系アメリカ人が産業革命により、北部に移動したことが大きな要因です。

また、ラジオやレコードの登場でジャズミュージックが全米に広がる後押しになりました。

フォックストロット

1913年、ハリー・フォックス( Harry Fox ) が、マネージャーを務めていたダンスホール「ジャルダン・ドゥ・ダンス(踊りの庭園)」で自分の名前をつけた「フォックストロット」を発表します。ジッグダンス、ソフトシューダンスにルーツを持ち、現在では社交ダンスの一種目として定着しています。

フォックストロットだけでなく、同じく社交ダンスの種目である「タンゴ」、「ブルース」も黒人にルーツがあります。イギリス人が様式美を加え、社交ダンスとしてステップを洗練させていきました。

またこの時代、動物の動きをマネしたステップが流行します。「ターキー・トロット」、「グリズリー・ベア」、「バニー・ハッグ」、「フィッシュ・テール」、「キャメル・ウォーク」といったステップも黒人にルーツを持ちます。もともとアフリカンダンスの特徴として動物をマネしたステップがあります。

モダンダンス(アメリカ)

1900年ごろに誕生したモダンダンスがヨーロッパで大きく発展します。そして 1910年代、アメリカに逆輸入されます。

1915年、ルース・セント・デニスは夫のテッド・ショーンとともに「デニショーン」という学校と舞踊団をロサンゼルスに設立します。カップルの名前を組み合わせた学校名です……。

数多くの伝説的なモダンダンサーがこの学校を卒業します。マーサ・グラハム(モダンダンス)、ジャック・コール(ジャズダンス)が有名です。

ちなみにルース・セント・デニスは日本舞踊からも大きな影響を受けています。日本人舞踊家である貞奴さだやっこの踊りや東洋舞踊の研究も行っていました。

ジャズダンスにも大きな影響を与えるモダンダンス。日本舞踊のテクニックがジャズダンスに吸収されます。

ただ1910年代、モダンダンスはアメリカではあまり受け入れられませんでした。そのため、モダンダンスの下地があるヨーロッパでさらに発展していきます。

アメリカでは、1920年代後半頃から徐々にモダンダンスが受け入れられるようになります。

1930年代になるとオリエンタル・スタイル(東洋スタイル)が盛り上がります。バレエと黒人のダンス以外が取り上げられるようになり、ジャズダンスに大きく影響します。

伊藤道朗みちお

ジャズダンスの発展に欠かせない日本人がいます。それが伊藤道朗みちおです。名前から分かる通り日本人で、イトウミチオと表記されることが多いです。

伊藤道郎(イトウミチオ)ジャズダンスに大きな影響を与える

早川書房より

ミチオはモダンダンスを専門とし、マーサ・グラハム、ホートンといったモダンダンスを支えた人物たちと肩を並べます。

ヨーロッパ時代を経て、1918年(26歳)ニューヨークにダンススタジオを開きます。その後ロサンゼルスに拠点を移しますが、第二次世界大戦で日本に帰国。

アメリカ在住時に 4,000人のダンサーにモダンダンスのテクニックを教えました。この生徒たちがジャズダンスの流れを作っていきます。

日本舞踊のシンプルな動き、シンプルな軌道を特徴としつつ、ヨーロッパのモダンダンスの身体の動きが混ざり合っています。

1917年:ジャズダンス誕生

1917年はジャズ誕生年です。

ニューオリンズを拠点に活動した白人ジャズバンド「オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド」。

彼らがジャズのスペルを「 Jass 」から「 Jazz 」に変更したのが1917年。

以降ジャズは「 Jazz 」と呼ばれるようになり、浸透していきます。

なぜ変更されたかは諸説あるものの、「 ass :おしり」を連想させてしまい不謹慎、というのが大きいようです。

1917年がジャズ誕生の年で、かつこのジャズミュージックに合わせたダンスが「ジャズダンス」となりました。

ニューオリンズの黒人たちの間で踊られていたジッグダンスとソフトシューダンスに、ヨーロッパを中心としたダンスが混じり合うことでできあがったのが「ジャズダンス」です。

ジャズダンスのルーツは、これまで紹介した通りアフリカまでたどることができ、アフリカのリズムが欠かせない要素となっています。

その後、白人のジャズダンスも登場しますが、区別する場合、「ユーロ・ジャズダンス」と呼びます。

全米に広がる

1920年代の終わりまでにニューオリンズで生まれたディキシーランド・ジャズ、ラグタイムはアメリカに広がり、シカゴやニューヨークでも発展していきます。

ニューオリンズはアメリカの中でも大規模なプランテーション農家が多い地域で、黒人奴隷が多くいました。ジャズは差別や、追いやられた黒人コミュニティで発展した歴史は避けられない話題です。

そこから黒人が移動していくことで広がっていくことになりました。

ジャズダンスがニューオリンズからアメリカ全土の主要都市へ

@arthist_101より

ニューオリンズからアメリカの主要都市に広がり、ヨーロッパにまで広がります。

この当時のジャズダンスは今も残っています。そのため、ジャズミュージックに合わせて踊るジャズダンスを「ジャズダンス」といっても正解です。

定義が難しい

この時代を起点にジャズダンスが激しく枝分かれしていくことになります。

ジャズダンスが定義しづらい原因はここにあります。

あまりに多くのジャンルを吸収してしまったため、どのダンスがジャズダンスか誰にもわからない状態になっています。

そのため、「これはジャズダンスです」と言ったら、それはジャズダンスです。

なぜニューオリンズから?

ニューオリンズは、アメリカ南部ルイジアナ州の最大都市の港町です。

もともとニューオリンズは奴隷制度の拠点となっていました。船で連れてこられた黒人たちが奴隷市場で競売にかけられます。

ニューオリンズはもともと黒人に寛容な街でした。白人と黒人のミックスであるクレオールに対し、特に寛容でした。

黒人奴隷と違い白人としての身分が保証され、自由が与えられます。教育を受ける権利もあり、音楽や芸術にも深い理解があります。エリート的立場の黒人系もいて、むしろ黒人奴隷を見下す人まで現れます。

このような独自の奴隷解放規定がありました。

「子女は母親の身分に従うが、白人である主人が死亡する場合、めかけだった黒人女性は奴隷から解放され、その間で生まれた子女も自動的に解放される」

つまり、白人と黒人奴隷のあいだの子供たちは奴隷でなくなるため、「白人」と同じような扱いとなる黒人もいました。

1800年代もこの規定が続きますが、南北戦争の奴隷解放宣言(1863年)で悪い方向に変化します。奴隷解放により南部にいる白人の怒りがミックスの人たちに向かい、人種隔離法が制定。「クレオールは黒人」とされ、身分が落とされます。

とはいえ、それまでに教育を受けていたのは大きかったようです。

この環境があったからこそジャズミュージック、ジャズダンスが発展してくことになります。

白人と黒人、両方のルーツを持つ子どもたち。音楽的なセンスを持ち、学があり、白人社会で一定の発言権もありました。

そんな子供たちや仲間の黒人たちが自由に演奏やパフォーマンスをおこなっていました。

ダンサー体型を目指す筋トレ・体幹トレ

ダンサーのような軽い身体、柔軟性、芯のある機能的な筋肉をつくる基本は、自体重トレーニング・体幹トレーニングです。ケガしづらく、自分の身体に合った筋肉がついていきます。

自体重トレーニングは、継続しやすいプリズナートレーニングがオススメです。

2,200円ほど。

オンラインレッスン

ルーティーンを作るためにプロを利用するのもオススメです。オンラインレッスンはコスパがかなりよく、一流の先生かつ、内容のクオリティが高いです。

業界大手のヨガスタジオ「LAVA」は月2,000円ほどでほぼ受け放題です。ヨガ・ピラティスでけでなくトレーニング・筋トレ・ストレッチなどヨガ以外のフィットネス動画も豊富です。

筋トレ・ストレッチ・ヨガ・ピラティスなどなど膨大なアーカイブを月3,000円ほどでほぼ受け放題できる「SOELU」。

身体づくりの知識をつけ、効率的かつ自分独自のメニューを作っていきましょう。

kazu

今回は「1900年代~1910年代のジャズダンスの歴史:ジャズダンスの登場とその定義」についてでした。次回に続きます。
ありがとうございました。

次の記事はこちら↓

 

 

ジャズダンスの歴史(1920年代前半)タップの進化・チャールストンの登場
ジャズダンスの歴史:深堀り徹底解説

ダンサー体型を目指すトレーニング情報をまとめていますので、ぜひご覧ください。